[画像のクリックで拡大表示]

 「フラクタルの父」として著名なベノワ・マンデルブロが85歳の生涯を終える直前に書いた大部の自伝だ。「フラクタリスト」というタイトルはユニークだが、いろいろな意味でマンデルブロの生涯そのものがフラクタル的だったことを暗示している。

 マンデルブロは冒頭、「わが人生の曲がりくねった長い道のり」と述べている。実際、1958年にIBM研究所に職を得るまでの前半生は波瀾の連続だった。ポーランドでユダヤ系の家庭に生まれ、一家はナチスの迫害を逃れてフランスに移住する。直後にフランスがナチス・ドイツに占領されるが、無事生き延びてフランスの理科系最高学府エコール・ポリテクニークを卒業する。その後、米国とフランスの間を専門を変えながら根無し草のように往復する時代が続く。

 「個人所得の分布」について講演するよう招かれたハーバード大学で、ある経済学者の研究室に、自分が使うつもりだった分布図が既に描かれているのに気付いて驚くくだりは印象的だ。その図は所得ではなく綿花の価格変動を表していた。それでは、その背後に必ず何か共通のメカニズムがあるに違いない―。

 マンデルブロは乱雑、無関係に見える現象を統べるメカニズムに気付く経験を「ケプラー的瞬間」と呼んでいる。ケプラーは惑星の一見不規則な運動を楕円軌道という一つの法則性に還元することに成功した。マンデルブロは何度かのケプラー的瞬間の後、Z=Z2+Cという単純な漸化式が宇宙の構造から株価まで無数の現象を近似することを発見する。

 主著「フラクタル幾何学」で注目を集めるようになったのは1982年、マンデルブロは58歳になっていた。数学者としてはおそらく記録的な遅咲きだが、「あれもこれもかじってみる」長い知的彷徨があってこそこれほど広範囲に影響を与える理論が生まれたのだということがよく分かる。同時に、戦後フランスを覆った左翼的全体主義にも反発して真の自由を求めたヨーロッパ知識人の回想としても興味深い。

 評者 滑川 海彦
千葉県生まれ。東京大学法学部卒業後、東京都庁勤務を経てIT評論家、翻訳者。TechCrunch 日本版の翻訳を手がける。
フラクタリスト


フラクタリスト
ベノワ・B・マンデルブロ 著
田沢 恭子 訳
早川書房発行
2940円(税込)