2020年の東京五輪開催の決定を受ける形で4K/8Kの実用化試験放送の前倒し議論が深まっている。流通の現場では、4Kテレビの販売により、テレビ売上げフロアの販売単価が上昇してきた店舗も散見されるようになってきた。本稿では、CEATEC JAPAN2013の展示も参考にして、4Kテレビを産業として開花させるには、どのような環境や論点の整理が必要なのかについて考えてみたい。

テレビ産業発展のエンジンとなってきた五輪の姿

写真1●静岡大学工学部・大学院工学研究化内の敷地にある高柳記念未来技術創造館。高柳健次郎氏がテレビ研究に使用した数々の機材が展示されている。
写真1●静岡大学工学部・大学院工学研究科内の敷地にある高柳記念未来技術創造館。高柳健次郎氏がテレビ研究に使用した数々の機材が展示されている。
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 日本のテレビの歴史を紐解く時、五輪は常に大きな役割を果たしてきた。もともと1940年に東京五輪が開催予定であったが戦争で中止の憂き目となっている。実はそのかげでテレビ研究が着々と行われていた。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部・大学院工学研究科)内で研究チームを率いていたのが、同校教授の高柳健次郎先生である(写真1)。先生は1926年、機械式の円盤と電子ブラウン管を用い「イ」の文字を送受信しテレビの誕生を作り出したことで有名だが、その後NHKから中継機材などの開発を委嘱され、1937年にはテレビジョン放送自動車(現在のENG車に近いコンセプト)も完成させるなど、幻の40年五輪という舞台で世界初のテレビ中継に備えていらしたという。

 1964年の東京五輪では、日本放送協会(NHK)と民放関係者がカラー放送の実現に奔走する。撮像管の開発から衛星中継まで機材を国産で開発した。当時、急速に普及していた白黒テレビでもカラー中継映像が、色信号以外に毀損されることなく映る放送技術が確立し、スローVTRや説話マイクなど新たな放送技術も一斉に花開いた。何といっても、代々木の各会場がNHKの放送センターの隣接地という立地も、カラー中継を後押しする要素となったことには誰も異論のないところだろう。

 そして、1972年の札幌五輪はカラーテレビの普及を、1998の長野五輪ではBSアナログ放送と大型ブラウン管テレビの普及を後押しすることになったことも付記しておく。

 今般、2020年の東京五輪開催を受けて、2016年からスーパーハイビジョン(8K)の実用化に向け、衛星を用いた試験放送を前倒しでスタートしたいとする議論が深まりつつある。会場の中心となる東京湾岸地区にはフジ・メディア・ ホールディングスも大型スタジオを有しているので、国際映像のフッテージ製作などにおいてNHKや民放が総力を結集し、世界に冠たる超高画質の世界観を披露する絶好の機会がやってきたともいえよう。

 こういった数十年に1度の大イベントでトライする映像・放送技術の新たな開発は、日本の産業技術の底上げを一段高いところまで持っていく環境下で花開くのではなかろうか。