あれは忘れもしない、2011年1月の出来事だった。そのニュースは突然、NECグループの社員のもとに届けられた──。

 私はいつものように、朝、日本経済新聞を開いた。すると私の目に飛び込んできたのは「NECが外資系企業の中国レノボとパソコン事業で提携する」という驚くべき記事だった。自分が勤めるNECパーソナルプロダクツ(当時)のパソコン部門が、レノボ・ジャパンとともに、NECとレノボの両社によるジョイントベンチャー(JV)であるレノボNECホールディングスB.V.傘下に入るというのだ(図1)。

図1●NEC レノボ・ジャパン グループ
図1●NECレノボ・ジャパン グループ
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 青天の霹靂とは、まさにこのこと。しかし、驚いてばかりはいられなかった。

 半年後の2011年7月1日から、NECとレノボのJV体制「NECレノボ・ジャパン グループ」が正式にスタートすることになったのだ(図2)。NECパーソナルプロダクツのICT担当だった私は、それまでにやらなければならないことが早くも山積みになった。

図2●JV(ジョイントベンチャー)発足の歩み
図2●JV(ジョイントベンチャー)発足の歩み
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 なかでも、当時のNECパーソナルプロダクツで、パソコンのほかにプリンターなどの機器生産を実施していた部門が「存続会社」として、NECグループ内に残ることになった。そのため、会社としてもシステムとしても、新会社とは分割しなければならない点が最大のテーマになった。

 特に大きな課題だったのは、NECパーソナルプロダクツの米沢事業場(山形県米沢市、以下米沢工場)で行われているビジネスパソコンの生産および出荷システムの改定である。

 JV体制の始動までに与えられた時間は、発表からわずか5カ月しかない。この間に、ビジネスを止めることなく、システムを分離・独立させなければならない。

 さらに移行の最後には、6月30日(木曜日)まではNECパーソナルプロダクツとして製品を出荷させ、翌週の7月4日(月曜日)からは、NECパーソナルプロダクツから切り離すJV傘下の新会社、NECパーソナルコンピュータ(以下、NECPC)として生産・出荷を始めなければならない。

 許されるシステム停止期間は、土日を含めても3日。相当な“手品”をやってのけなければならなかった。