1990年代の終わりから2000年にかけて起きた、世に言う「ITバブル」は、長くIT業界にいる人たちにとっては、昨日のことのような話かもしれません。ITバブル自体はあっけなく崩壊してしまいましたが、これを契機に日本の情報産業が大きく変わったことは間違いないでしょう。

 僕がIT業界に身を置き始めたのは、まさにITバブルが崩壊した2000年頃ですが、株価が暴落したとはいえ、大きなトレンドとしてパソコンやインターネットの普及、また企業へのWebサイトやオープン系システムの普及はまだまだ破竹の勢いで進んでいました。

 しかし、デフレ経済がいよいよ明らかになると、企業のIT予算や広告予算は減額を余儀なくされ、大きなシステムインテグレーター(SIer)から、小さなWeb制作会社までが「ITでコストの削減」をうたわざるを得ない状況に陥ります。当然ながら、コスト削減の波はユーザー企業のみならず、IT企業自身にも程なくしてやってきました。

 そしてその頃、IT業界でよく耳にし始めた言葉が「オフショア開発」です。高止まりする国内の人件費に代わって、海外に開発を委託することで、プロジェクトにかかる開発コストを安く抑え、利益を確保しようとしたのも、仕方のない時代の流れと言えるかもしれません。

 もちろん、このような取り組みは随分と前から製造業などで行われてきたわけで、要は生産拠点の海外移転と同じであり、IT業界も否応なしに、同じ道を歩まざるを得なかったとも言えるわけです。

零細企業にもオフショア開発は可能なのか

 そして現在、少なくとも大手SIerが行う大規模なシステム開発において、国内と海外での多拠点開発自体は、さして珍しいものではなくなりました。もちろん、ここまでの開発環境を整えるには大変な苦労があり、オフショア開発ならではの失敗事例もたくさんあったことは間違いありません。

 逆に言えば、それこそがオフショア開発を行ううえでのノウハウであり、強みといえるわけです。それに加えて、主に中国やインドを中心とした外国のソフトウエア企業と良好な関係を構築するためには、日本からのエンジニアの駐在や環境整備も含めて、様々な投資も必要でした。これらのことから、オフショア開発は資本と人員が潤沢にある組織でなければ、なかなか実現は難しいものでした。

 ところがです。世界の経済環境やIT環境は10年前より、それどころかわずか2~3年前と比べても、大きく変わりました。少なくともこれまでは、僕らのような地方の零細ベンチャー企業には夢のまた夢だった、複数のオフショア拠点を結んだソフトウエア開発が、いとも簡単に実行できてしまうほどに環境は変わったと言えます。

 アイデアやクリエイティビティーの重要性については既に多くの人が理解していると思いますが、それらのアイデアを資金力に乏しいスタートアップ企業が実現するには、どうしても卓越したクリエイターやプログラマーが必要でした。そのようなスーパーマンがいない小さな組織が、いかにしてアイデアを形にしていくか。

 その1つの解が、クラウドコンピューティングやクラウドソーシングを最大限に活用した新しいスタイルのオフショア開発ではないかと考えています。

 僕らは、マイクロソフト(現日本マイクロソフト)から2009年に独立して現在のピアズ・マネジメントを設立して以来、プレゼンテーションの製作や指導、またセールスやマーケティングに関わる戦略立案の支援や営業研修、それに加え講演や執筆活動などを主な業務としてきました。とは言え、今現在に続く僕らの思考技術は、そのほとんどがソフトウエア開発者だった頃から、マイクロソフトにおいてVisual Studioによる.NET Frameworkおよびアジャイルソフトウエア開発手法の啓蒙活動をしていた頃までに培われたものです。