今、日本企業の課題はビジネスのイノベーションとグローバル化。特に新規ビジネスを創出したり、既存ビジネスの事業モデルを変えたりするイノベーションの取り組みは、少子高齢化が進む日本の市場で生き残っていくには不可欠だ。かつ、今やIT無くしてビジネスのイノベーションなんてできないから、多くの企業で最近にわかにIT部門やIT担当者に期待が集まるようになった。

 ここまではよい。ところが世の中にはバカな経営者が多い。IT部門やIT担当者に向って「組織の壁を越えて事業部門と協力して新しいビジネスを創れ」とだけ言う。あるいは、各事業部門やIT部門の長クラスなどをメンバーとするイノベーションなんとか委員会を設置する。でも当然のことながら、良いビジネス企画など出てこない。そして経営者は「うちにはイノベーティブな人材がいない」と嘆くことになる。

 もちろん、経営者の問題意識自体は間違っていない。組織の壁を越えて仕掛けることがイノベーションにとって不可欠なのも、その通り。特に全社を見渡せる立場にあるIT担当者にそうした役割を期待するのもOKだ。もしIT担当者が実際にそうした人材になれたのなら、その企業での輝かしい未来が待っているかもしれない。

 ただし「組織の壁を越えろ」を連呼する経営者のいる企業には、ビジネスのイノベーションにとって、それ以上に重要なことが欠落している。少なくとも本気で新規ビジネスを創出したり、既存のビジネスモデルを変えたりしようとするならば、その欠落に気づき改めていくのが経営者の務めである。

 そのことに気づかされたのは、イノベーティブな製品を次々と生み出すことで有名な企業のIT部長と、イノベーションとITの関係について意見交換していたときのことだ。バカな私は「IT担当者の求める人材像って、やはり組織の壁を越えられるような人ですか」と聞いた。すると、その部長は怪訝な表情を浮かべ、「意味がよく分かりません。組織の壁なんて誰も意識しませんよ」と答えた。

 なるほど、全て了解である。その企業では、IT担当者も含め従業員は組織の枠組みを意識することなく、やりたいこと(=やるべきこと)ができる。つまり、組織の壁は存在しないか、あったとしても限りなく低い。まさにそれが、この企業の自由闊達な組織風土あるいは企業文化なのである。だから、日々イノベーティブな企画や試みが生まれ、ヒット商品を連発できるのだ。

 このことから逆が言える。つまり、「組織の壁を越えろ」と経営者が連呼する企業は、組織の壁が高く厚いのだ。常人では超えられないほど巨大な壁であるため、誰も越えようとはしないから、経営者は「越えろ、越えろ」と連呼しなればならなくなる。実際に壁を越えられる人がいたら凄いが、その能力はイノベーションに必要なものと言うよりも、政治家に必要な能力と言ったほうがよいかもしれない。

 そんな企業がイノベーションなんとか委員会を設置しても、うまくいかないのは明らかだ。組織の利害代表者が集まっても、既存ビジネスや組織のしがらみにとらわれない活発な議論や自由な発想など生まれてくるわけがない。結局、利害代表者同士が談合して、経営者が納得する落としどころを探るのが関の山だ。それはイノベーションとはほど遠い世界である。

 要するに、ビジネスのイノベーションを実現しようと思えば、企業文化や組織の在り方を変えるという戦略的発想が不可欠である。ただし組織をいじるだけでは、何とかなるものではない。官僚的組織はいくら組み替えても官僚的組織のままである。そうではなくて、多くの日本企業で欠落しているもの、つまりもはや死語となった「ワイガヤ」的な企業文化を取り戻す、あるいは新たに導入するしかない。

 これは経営者だけができる仕事だ。しかも経営の中で一番難易度が高く、イノベーティブな発想や実行力が求められる。企業やビジネスを変えてくれるようなイノベーティブな人材を求めるならば、「先ず隗より始めよ」である。