最近の新入社員は「教えてチャン」が多くて困る、という話をよく耳にする。自分で調べず、先輩や上司に教えてもらえるのが当たり前だという姿勢に問題があるというわけだ。でも、初めはそれでいいんじゃないかと思う。問題意識を持って疑問に思ったことを素直に聞けるというのも大切な能力だ。僕自身、システムエンジニアとしての始まりがまさにそんな感じだった。

 ソニーに入社してシステム部門に配属された時、不本意だったことを前回書いた。大学は理系だったが、コンピューターの知識は皆無。ITの仕事をやりたかったわけではないのでモチベーションも低い。さらに、態度も良くなかったようで、後年、「お前ほど心配した部下はいない」と上司に打ち明けられたこともある。しかし、そんな奴に対しても当時の先輩達は何でも本当に良く教えてくれた。

 1979年に米国に長期出張に行き、80年は日本で大きなプロジェクトに参加した。月の残業が平日だけで100時間を越えることもあった。ここに休日出勤が加わる大変なスケジュールだった。このプロジェクトで、チャレンジしたのが、プログラムの品質向上だった。プログラミングの外注化が進む中で、いかに保守性を担保しつつ品質を上げるかが課題だった。当時ソニーに既に、熟練のプログラマーの職人技を排除するためにプログラムをいくつかのパターンに標準化していたが、これにテストの標準化も加え、暗黙知を形式知化することに取り組んだ。手探りでスタートしたチャレンジだったが、みんなでアイデアを出し合いながらプロジェクトを進めていくのは本当に楽しかった。お互いに教え教えられみんなでシステムを作る醍醐味を始めて味わったプロジェクトだった。

学んだのは技術だけでなく視点

 その後再び渡米し、サンディエゴ工場でブラウン管の生産管理システムと原価計算システムの開発に携わった。それまでは主にセットの生産管理システムに携わっていたので、プロセス系のシステムは初めて。しかも原価管理の基本も怪しい状態、全く自信がない。

 そんなわけで。日本からCRT工場のシステム部門の人が支援に来てくれた。この人がすごかった。

 僕が「原価管理が分からない」と言うと、「じゃあ、勉強しようか」と言って、「原価とはねえ」とノートに文章を書き始める。何も見ないで、原価管理を分かりやすく解説した手製のテキストを目の前で作っていくのだ。休みの日にホテルで整理したものを、休み明けに手渡してくれたこともあった。

 この人とは約半年一緒に仕事をした。もっとすごいと思ったのは1つの工場のシステムの全体像を図にしたものを見せてもらった時だ。生産管理や原価管理、資材管理、出退勤、人事、経理、といった工場の全てのプロセスとシステムが、分かりやすく記述されていたのだ。上から俯瞰しているように。そしてその図はきれいに色分けされていて、去年システム化したところ、今年の計画、来年以降の計画が誰にも一目で分かるようになっていた。この図を僕は今でも大事に持っている。

 その後ニュージャージーの拠点に移り、販売物流システムの開発を担当することになった。これまた初めての領域だったが、それまでの経験を通して教わり方がだいぶ上達したように思う。いいかえると、未経験の領域にどう立ち向かっていくかという自分なりの方法論ができつつあったということだ。対象領域が変わってもシステムの本質に違いはないと捉えられるようになった。この時、ようやくシステムエンジニアとして一人前になったのかもしれない。入社してから6年が経っていた。

 システムの仕事は昔も今も激務だ。本当にゴールにたどり着けるのか、不安を抱えながら長時間労働に耐えなくてはいけない時期もある。残念ながら心を病む人も多いと聞く。それでも、「教えるのも仕事」と伴走してくれる上司や先輩がいれば乗り越えられる。そしてある日突然、それが自分の血となり、肉となっていることに気づくはずだ。

長谷島 眞時(はせじま・しんじ)
ガートナー ジャパン エグゼクティブ プログラム グループ バイス プレジデント エグゼクティブ パートナー
元ソニーCIO
長谷島 眞時(はせじま・しんじ)1976年 ソニー入社。ブロードバンド ネットワークセンター e-システムソリューション部門の部門長を経て、2004年にCIO (最高情報責任者) 兼ソニーグローバルソリューションズ代表取締役社長 CEOに就任。ビジネス・トランスフォーメーション/ISセンター長を経て、2008年6月ソニー業務執行役員シニアバイスプレジデントに就任した後、2012年2月に退任。2012年3月より現職。2012年9月号から12月号まで日経情報ストラテジーで「誰も言わないCIOの本音」を連載。