LibreOffice Calcの開発で中心的役割を果たしている吉田浩平氏。その功績で2013年度のOSS貢献者賞(関連記事)も受賞している。
 かつて仕事との両立に限界を感じOSS開発をやめよう考えていた時、米Novell(現SUSE)から仕事としてOSSを開発しないかというオファーを得、継続できたという。仕事としてOSSを開発できる環境がもっと必要と吉田氏は指摘する。

(聞き手は高橋 信頼=ITpro


吉田浩平氏
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OpenOffice.orgの開発者になった経緯をお教えください。

 実は、はじめの頃は開発の方はあまり参加してなくて、単なる1ユーザーとしてメーリングリストにいろいろ投稿しているだけでした。2002年の頃だったと思います。その当時は米国の、従業員20人くらいの小さな会社に務めていて、環境関係、特に地下水の水質調査を主に仕事をしていました。

本職は環境調査、ITは独学

 その頃からLinuxそのものに個人的に興味を持ち始めていて、Linuxをなんとか仕事でも使えるようになれないか、ということも常に考えていました。そのうちに社内でも僕がコンピュータに結構詳しいということがバレてしまい(笑)、本職の間をぬってヘルプデスクのようなことをしたり、当時は社内でもLANが設置されていなかったのでその設置や、その後のネットワーク・システムの管理をも手がけるようになりました。

 最初はLinuxをオフィス内のサーバーとして使っていたのですが、それでは物足りなくなり、デスクトップでも使えるようになれないか、という考えがよぎりました。ただその際にネックになるのがオフィス・スィートですよね。当時はどこでもMicrosoft Officeを社内標準で使っいたので、それが使えないLinuxはデスクトップとしては使えなかったのです。そこでStarOfficeに出会ったわけです。

 当時出回っていたのはStarOffice 5.1で、その時はドイツに本拠地を置くStarDivisionから直接リリース・販売されていました。後にSun MicrosystemsがStarDivisionを買収し、Sunのロゴの入った5.2がすぐにリリースされたのを覚えています。

 その後間もなくSunがStarOfficeをオープンソース化し、OpenOffice.orgという名前でプロジェクトが発足、それ以来OpenOffice.org (以下OOo)の動向に注目するようになりました。メーリングリストで発言するようになったのはこの頃からです。最初の頃はグローバルのメーリングリストの方でのみ発言してましたが、その後に日本語のリストができ上がってからはそっちの方でも時々発言するようになりました。それがOOoのプロジェクトに関わりはじめたきっかけです。

 最初の頃はバグ報告やRFE(Request for Enhancement、機能拡張依頼)の登録などの活動だけをしていましたが、そのうちにそれだけでは物足りなくなり、開発の方もやってみようかという考えがよぎりました。その当時はプロジェクト側でも「なんとかSun以外の開発陣を増やそう」という運動を盛んにやっていたので、それもきっかけとなってソースコードを自分で実際に見て、変更を加えてみよう、という考えを持つようになりました。ただやっぱりビルドの難しさ、特にビルドするのに1日2日かかるというのがネックで、なかなか実行に踏みきれませんでしたね。

 あと、仕事でいろいろなスクリプト言語は使っていたにしろ、本職がソフトウエア開発ではなかったので「果たして自分のコード力でこんな大規模な、しかもC++のプロジェクトの開発なんかできるのか」という不安もありました。