写真●マンガ家の鈴木みそ氏
写真●マンガ家の鈴木みそ氏
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 マンガ家の鈴木みそ氏は2013年1月、米アマゾン・ドット・コムで、商業誌に連載していたマンガ「限界集落(ギリギリ)温泉」の電子書籍版を自ら売り始めた。編集やデータの変換などすべての作業を自分で手掛けた文字通りの“個人出版”ながら、発売3週間で4巻合計約1万2000冊を販売した。

 その勢いは止まらず、4月末までの累計で約3万7000冊を売り、「1000冊売れたらヒット」と言われていた電子書籍市場の常識に、個人の力で風穴を開けた。

 「個人出版の電子書籍がこんなに売れるなんて、僕自身はもちろん、アマゾンですら信じてなかったはず」と話す。

 美術予備校時代からライターとしてゲーム雑誌などに関わり、東京芸術大学除籍後の1987年、小学館からマンガ家としてデビューした。キャリアは25年を超える(Amazonの鈴木みそ氏のページ)。

 豊富な取材を生かした作風で、東日本大震災を題材にしたドキュメンタリー「僕と日本が震えた日」(双葉社)やストーリー仕立てで業界の裏側を描いた「銭」(エンターブレイン、全7巻)などが代表作だ。

 「限界集落温泉」は、過疎地の廃業寸前の温泉宿をオタクたちの活躍で再生するストーリーで、ゲームやオタク業界への深い造詣が存分に発揮されている。2012年2月までエンターブレインの「月刊コミックビーム」に連載、単行本も4巻まで出ている。

 もともと電子書籍に強い関心があった。「いつか必ず電子の時代になる」と考え、2000年ごろから契約書を書き換えて電子化の権利を手元に確保していたほど。ブクログの「パブ―」や人気マンガ家の赤松健氏が始めた「Jコミ」など電子書籍関連の新しい試みにもいち早く参加してきた。だが売り上げは芳しくなく、市場はなかなか立ち上がらなかった。

 2012年秋にアマゾンが個人出版向けの電子出版サービス「Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング」(KDP)を国内で開始したときもすぐは手を出さなかった。だが、KDPで1000冊の無料本を配布したライターの友人の話を聞いて気が変わった。「そんなにダウンロードしてもらえるなら今度こそいけるかも」。

 折しもアマゾンは価格の70%を著者に還元する有利な新制度を開始しており、マンガ閲覧向きな電子書籍の専用端末「Kindle Paperwhite」も安価で発売されるなど、状況は整っているように見えた。

 2012年末、鈴木氏は約3週間を費やして「限界集落温泉」全4巻をすべて自力で電子書籍に仕上げた。「ググってもぜんぜん情報がない」状況で試行錯誤をしたものの、自作マンガを電子書籍化するノウハウを自力で積み上げた。

 とはいえ、正月明けにアマゾンで販売を開始した時点で成功を予期していたわけではない。「3週間マンガを描けば原稿料で50万~60万円くらいになる。年間でそれくらいの売り上げが出れば万々歳」と目標は控えめだった。

 だが、作品の出来の良さに加え、1巻の価格をあえて手頃な100円にするなどの戦略が功を奏する。目標の50万円はあっさりクリアし、その後に追加した4冊の電子書籍を含めた合計で、4月末までに約750万円を稼いだ。

 「タイミングに恵まれてラッキーだった。でっかい風車に何度もヤリを刺していたら、今回は当たりましたって感じ」と話す。

 大ヒットを受け、本業のマンガに好循環が出てきた上、活動の幅は広がっている。まず、電子書籍の個人出版を題材にした連載が、電子マガジンと月刊誌でそれぞれ別々に始まった。さらに電子書籍関連のイベントで登壇する機会も増えた。

 多忙の合間を縫い、電子書籍の伝道師として、マンガ仲間に制作のノウハウを伝えることもしている。鈴木氏の成功に刺激され、KDPで個人出版に乗り出すプロのマンガ家も続出している。

山田剛良
日経NETWORK
 エンジニアリングを皮切りにパソコン、IT、エレクトロニクスの技術雑誌や日経新聞で記者キャリアを積む。2013年1月より日経NETWORK編集長。社会を変える技術者に興味がある。