中国連載の第3回は、中国におけるベンチャーキャピタル(VC)の台頭に関するものです。初期の政府による投資プログラムから、1990年代において銀行や外資系VCなどが参入し多様化していった様子が説明されています。(ITpro)

 本連載の第1回目では、先端兵器システムの開発をサポートするために、中国がどのように科学技術インフラを構築したかを説明しました。前回のブログでは、トーチ・プログラムが中国のイノベーション集団をどう構築したかを説明しました。今回のブログでは、中国でのベンチャーキャピタル(VC)の台頭と、それがどのように中国のアントレプレナーのエコシステムを構築したかを説明します。

中国のVCの台頭

 中国が、全てが命令と規制の経済に基づいていた国家制度から脱却したのは、1990年代のことでした。研究開発センターと大学技術が、そこからスピンアウトあるいはスピンオフした新しいスタートアップ企業に対してシード資金を提供した時から、新しいスタートアップ起業の第1の波が起こりました。大学や研究センターから複数人がまとまって辞めたり、ある部門全体が外部に出ることになったのです。例えば1990年代には、北京で創業された技術系企業への資金の85%は、彼らが辞めた大学や研究センターから提供されました。

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 技術投資の第2波を起こしたのは中国の銀行で、トーチ・プログラムのスタートアップ企業に対する後期の投資の大半を行ないました。1991年までに、トーチ資金を得たスタートアップ企業の70%が、新規事業の拡張と後期の開発過程のために銀行から融資を受け、地方行政が銀行を保証しました。米国のSBIRおよびSTTRプログラムと同様、トーチ・プログラムによる新しいベンチャー企業への資金供与は、事業開始時のシード資金に限られていました。スタートアップ企業がトーチ・プログラムに認定されることによって、その技術の商用化に資金を貸与する銀行は安心感が得られたのです。

 科学技術産業パークを持つ技術地域は、新規ベンチャーへの3番目の支援元でした。その技術地域には、地方自治体からライセンスされたスタートアップと共に、トーチ技術ビジネス・インキューベーターがありました。地方自治体は、スタートアップ企業を財政的に支援しました。それは、このような技術地域を設けることによって、新規ベンチャーが地方経済の発展に貢献していると見られるからです。この取り組みは、スタートアップ企業が銀行やVCから資金を得る助けになりました。

 1990年代の中ごろまで、中国の指導者は「トーチ・プログラムが全てのスタートアップ企業の資金の源泉にはなれない」と理解しました。同時に、地方行政と銀行も、中国が必要としている規模の、スタートアップ企業の支援資金を所持していませんでした。問題は、中国政府がVC企業を正当な組織と見なしていなかったことでした。中国国内でのVC企業の設立は、地方自治体が資金提供するVC企業(GCVF)の設立から始まり、その後に大学が資金を出すVC企業(UVCF)が続きました(1986年には、国家科学技術委員会と中国財務部が中国先端技術ベンチャー投資企業を設立しましたが、それは利益を追求する私的企業ではなく、国家の技術ベンチャー政策の目標を支援する中央政府機関でした。その企業は、1997年に破産しました)。

 1990年代の初期、IDGキャピタル・パートナーズのような、外国のVC企業数社が中国に設立されました。1990年代半ばになると、VCに対する認識は、政府の資金支援の一種から、新規技術を商用化するために必要な商業活動へと変わりました。1998年までは企業ベースのVCは設立できませんでしたが、この年を境に、 政府や企業、外国資本による多くのVC設立の波が起こったのです。