「もっと若い頃にこの分野もちゃんと勉強しておけばよかったなあ」---。記者の口からは、こんなつぶやきが2カ月に1回くらいはもれる。
飲み込みが悪く、物事をなかなか覚えられない記者のような人間にとって、IT分野の知識は習得するのに本当に苦労する。OSやミドルウエア、データベース、仮想化&クラウド、ネットワーク、セキュリティ…etc。覚えなければならないことが山のようにある。
だが、年のせいにするなんていうのは、ふがいない自分を納得させるための言い訳にすぎない。年をとってからだって「本気で学びたい」という意欲と強い意志、そして行動力さえあれば、たくさんの知識を吸収してITやデジタルの世界で輝くことは可能だ。
このことを強烈な印象を伴って教えてくれたのが、スリーセブンワークスの服部照久氏(写真)である。
写真を見ていただければお分かりの通り、ビジュアルのインパクトからして相当なものだがそれは本題にあまり関係ない。強烈というのは服部氏がこれまでたどってきた経歴の方である。
国立音楽大学の附属高校から国立音楽大学に推薦入学し、器楽科クラリネット専攻を選び、音楽家への道を順調に進んでいたが、「家庭の経済的事情」(服部氏)により大学を中退、保険会社の代理店営業職として働き始めたというところからして平凡ではない。
「2000年問題のクレーム受け付け」の下積みからスタート
そんな服部氏が「ITは面白い。IT業界で働いてみよう」と一大決心をしたのは1999年、29歳の時だ。興味はあったがそれまでIT関連の仕事などをやっていたわけではなく、本当に知識ゼロの状態からのスタートだった。
転職先として選んだのは、世界で初めて商用サービスを提供開始したISP(インターネットサービスプロバイダー)で、当時世界最大級のISPだった米PSINetの日本法人「ピーエスアイネット(PSINet Japan)」(現ソフトバンクテレコム)であった。
しかしながら、知識も経験もない服部氏を正社員として雇ってくれるはずもなく、最初は西暦2000年(Y2K)問題に関する顧客からのクレームに対応するコールセンターのアルバイトとしてもぐりこんだ。
「当時、ピーエスアイネットは東京インターネットなど他のISPを買収し、2000年問題対策の一つとしてサーバーの移行および統合を進めていた。そのせいでホスティングしている法人顧客のWebサイトでCGI(コモン・ゲートウェイ・インタフェース)を使ったスクリプトなどが動かなくなるトラブルが多発していた。絶え間なくクレームの電話がかかってくる状況だった」。
コールセンターには服部氏のほかにも数人がおり、当時の服部氏よりはITの専門知識を持っている人間ばかりだったが、押し寄せる大量のクレームに皆、精神的に疲れ切っていたという。
そんな中、一人気を吐いて他の人の何倍ものクレーム件数を処理していたのが服部氏だった。なぜ平気だったのか。
「保険会社で仕事をしていたときは、それこそ『今、人身事故を起こして人を殺してしまったかもしれない』というような電話を何度も受け、対応していた。ITトラブルでは人は死なない。どんなクレームが来てもどうということはなかった」。