ある米国ITベンダーの日本法人の社長は、本社の幹部から「なぜ日本にはITサービス会社があんなにたくさんあるのか」とよく聞かれるそうだ。確かに米国には、それに相当する企業はEDSやアクセンチュアなどわずかしか存在しない。質問の答えは「日本のユーザー企業は独自仕様のシステムを作りたがるのに、その開発を外部委託することが多いから」である。ただ、この説明では米国人には理解不能だろう。

 米国企業の多くは、付加価値を生まないバックヤードのシステムにはERP(統合基幹業務システム)などのパッケージを可能な限りそのまま使う。だが事業戦略上で重要なシステム、儲けるためのシステムは自前で作る。だからこそ米国では、ユーザー企業のシステム開発の内製化率が高く、システムインテグレーションという業態は発達しなかった。米国のそうしたリアリティーからすると、システム開発を外部に丸投げするのは、不思議で仕方がないはずだ。

 日本のユーザー企業の中にも、こうした日米の差異を嘆き、内製の重要性を叫ぶ人がいる。長年にわたるIT部門の規模縮小、あるいはIT企業へのフルアウトソーシングに直面し、「経営トップはITの重要性を分かっていない。システムを作る力が失われてしまえば、米国企業などとのグローバル競争に勝てない」と悲憤慷慨する。一見、正論だ。ただ私は本当にそうかと思う。ある前提を無視して「米国では」と言ったところで、それはたわ言に過ぎないからだ。

 ある前提とは、米国では技術者は常に転職する、ということだ。大規模システムの構築を担当するプロジェクトマネジャーは開発が完了すれば、その会社に用は無い。別のプロジェクトを求めて転職し、キャリアを積み上げていく。だからこそ企業はとびきりの人材を採用でき、野心的なシステムを内製することができる。

 一方、日本企業では長い間、終身雇用が前提だった。人が辞めない以上、システム開発の山に合わせて技術者を抱え込むことはできない。しかも過剰とも言える独自仕様の機能を作り込もうとするから、山は一層高くなり、必要とする技術者の数も膨れ上がる。だから日本企業の多くは、システム開発を外部に依存せざるを得なかった。ITサービス会社はその受け皿だ。彼らは、一つの開発案件が終われば、技術者を別のユーザー企業の案件に振り向けることができる。つまり日本では、ITサービス会社が技術者の流動性を担保してきたと言ってよい。

 さらに言えば、最近は大型のシステム開発案件は減ってきている。IT部門の仕事がシステム運用だけなら、よりローコストで運用できるとするITサービス会社に任せるのは、経営にとって合理的な選択肢だ。まして転籍する技術者の雇用を保証してくれるなら、フルアウトソーシングに踏み切るのは、極めて自然な意思決定となる。だから、それに対して「開発力が失われる」と抗議したところで、経営トップにはIT部門の組織防衛としか映らないだろう。

 ただし、これはバックヤードのシステムに限った話。今、日本企業にとって大きな課題はビジネスのイノベーションだ。米国企業と同様、新たに儲けるためのシステムが強く求められている。ソーシャルマーケティングなど開発案件は山のようにある。問題は、IT部門がそういった案件に積極的に関わっていないことだ。IT部門が自らの殻を破ることさえできれば、おのずと内製化率は高まる。企業の競争力強化にも確実につながるはずだ。