日本人で唯一、Ruby on RailsとRubyの両方のコミッターを務める松田明氏。東京のRubyコミュニティAsakusa.rbの主催者でもある。RubyとRailsコミュニティだけでなく、日本と海外のコミュニティの橋渡しとして活躍している。松田氏に活動や想いを聞いた。

(聞き手は高橋 信頼=ITpro


Rubyとの出会いは。

 ずっとフリーランスで、おもにシステムインテグレータで業務システム開発の仕事をしていました。それでRubyに触れる機会がなかなかなくて。

 Rubyを本格的に使ったのはRuby on Railsが出てからですね。使ってみたら惚れ込んでしまって、それ以降はほとんどRubyの仕事しかしていません。

 ここまでソフトウエアを身近に感じたのはRubyが初めてでした。それまでは、メーカー様やどこか雲の上にいる外国の人が作った製品を使わせてもらうという立場だったわけです。バグがあったら次のバージョンで直してもらうまで待つしかない。でも、RubyやRailsは自分で直すことができて、パッチ(修正)を送ればそれが採用される。初めての体験でした。

 Rubyコミュニティは日本にあることも魅力でした。開発メーリングリストのruby-devや、コミュニティのWebマガジンである「るびま」を読んでいると、身近なところにすごいスーパースターたちがいて活動しているのがわかる。日本人でRubyをやっているなら、ruby-devや「るびま」を読まないのは本当にもったいないと思います。

 ただし、実際に集まるコミュニティ活動が当時はあまり盛んではなくて、しばらくは「Rails勉強会@Tokyo」という勉強会に参加していました。

 ただ「勉強させてください」という、受身の人が増えてきて、もっとお互いに刺激しあえるようなコミュニティをやりたくなり、始めたのが「Asakusa.rb」です。RubyKaigi 2008の直後に僕と角谷信太郎さん、と笹田耕一さんが3人とも当時浅草在住だったので、高井直人さんがやっていた「Akasaka.rb」をもじって、Asakusa.rbを作ろうと。今は浅草に限らず、世界中にメンバーが広がっています。米国シアトルにあるSeattle.rbをまねて、毎週火曜日にミートアップを行なっています。こないだ200回目を記念して「大江戸Ruby会議03」というカンファレンスも開催しました。

 200回になりましたが、僕はほとんど出席しています。幼い子供も居るので大変ではあるのですが、理解してくれる家族には本当に感謝しています。

RailsとRubyのコミッターになった経緯は。

 Railsは昔からいくつもパッチを書いて送っていたんですけど、コミッターになったのは実はこの年末年始です。それまでもコミッターにならないかという誘いはあったんですけど、そこまでやる気になれなかったので断っていたんです。年末年始に雑誌の記事を書くためにRailsのソースコードを読んでいたら、バグやドキュメントの間違いがたくさん見つかって、いちいち取り込んでもらうのが煩雑なので、コミット権をくれと頼んでコミッターになりました。

 Rubyコミッターになった経緯もちょっと変わっていて、米国のRubyConfに行ったとき、宿をとってなくて。まつもとゆきひろさんにその話をしたら、じゃあ僕の部屋に泊まりなよ、と言ってくださって、その時に夜どおし話をしている間にRubyのコミッターにならないかと誘われたんです。RubyのコアコミッターにRailsのわかる人がいないので、そこをつなぐ役割が期待されたんじゃないかな。

 現在、RubyとRails、両方のコミッターになっているのは、僕とAaron Patterson氏、それからYehuda Katz氏の3人だと思います。