開発と並行して、イベントやWebマガジン「るびま」などでRubyの普及を支えてきたのが日本Rubyの会だ。大きなイベントは1000人が参加し、海外からも多くのRubyistたちが訪れる。Webマガジン「るびま」は2004年から始まり40号を数えた。高橋氏に日本Rubyの会の活動やコミュニティの現状などについて聞いた。

(聞き手は高橋 信頼=ITpro


なぜ日本Rubyの会を作ったのですか。

 日本Rubyの会を立ち上げたのは、プログラミング以外のスキルで貢献したいと思ったからです。

 1997年ごろ、Rubyの存在を知り、使ってみたんですが、実は最初はよくわからなかった。メーリングリストをのぞいてみると、詳しい人達、いっぱいいて議論している。それを見ていて、それまでプログラミング言語は誰か偉い人が作ったものをただ使うんだと思っていたのですが、人が作って仕様も決めておくものなんだと初めて思うようになりました。

 99年に日本UNIXユーザ会(JUS)が開催したワークショップに出席したり、2002年末に青木峰郎さんの『Rubyソースコード完全解説』の読書会を始めたり、翌年には松江でRuby温泉ミーティングをやったりして、人のつながりができてきて。

 そのころ、PerlやPHPなどの軽量言語が集まったLL(Lightweight Language)イベントが開催され始めたんですが、他の言語はユーザ会など団体があるのに、Rubyだけこれという組織がない。窓口的なものを作っておけば、交通整理ができるかなと。他の人は開発で忙しい。プログラミング以外のスキルで貢献できるならと、日本Rubyの会を2004年に設立しました。

 まずはWebマガジン「るびま」の発行を始めました。これまでに40号を発行しました。毎回10本くらいの記事を掲載しています。累計で百人以上の人に記事を書いてもらったことになりますね。

 2005年にRuby on Railsが広まり、急速にRubyに注目が集まり始めました。Rubyのカンファレンス「RubyConf」はアメリカで2001年から開催されているのですが、2005年の参加者は前年の3倍、約180人に急増していました。

 カンファレンス終了後、日本から参加していた人たちと、日本でもやりたいね!と始めたのがRubiKaigiです。2006年の最初のRubyKaigiにはRuby on Railsの開発者David Heinemeier Hansson氏もアメリカから来てくれ、約300人が集まりました(関連記事)。

 でも実は直前まで準備が全然できてなくって(笑)。やり方もよくわからない上に、みんなボランティアで、仕事が終わったあとや土日に準備をしていたので。