経営環境の変化が激しくなるなか、システム開発における「速さ」すなわちスピードがますます重要になってきた。事業サイドにしてみれば、新しいことをやろうとしているのに、それを支える仕組み作りに1年も2年もかかっていては、ライバルに先を越されてしまう。スピードは必然の要求といえる。

 ただし問題は「スピードを上げて、コストは下げて。さらにセキュリティー対策もしっかりやって堅牢性も確保してほしい」という基本的な要求がシステム開発や運用において往々にしてトレードオフの関係になってしまうということだ。スピードを優先するなら、コストや堅牢性はある程度犠牲にすることもやむをえないという覚悟をすることが重要だ。

 近年のIT技術は、あたかもこの3つを全て満たせるかのように喧伝されているものが少なくない。クラウドやSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)は、出来合いのものをある程度カスタマイズして自分たちの仕事の仕方をそちらに合わせていく。したがって、システムを作るのではなく、ソリューションを買うのだから、当然システム開発や導入にかかる時間を短縮できるという極めて有効な手段なのだ。アジャイル開発も、短時間で開発するための手法を買うことだといえる。

 コストについて考えてみよう。どれも導入時のコストは安く思えるが、長い目で見るとどうか。クラウドサービスの導入を拡大すれば、ライセンスの費用がかさむ。ベンダーの言い値でライセンスを買わざるを得ない。「時間を買うためにカネを使うのだ」というコンセンサスがしっかり取れていればいいが、事業サイドがそのトレードオフを理解しないで、自社開発のシステムのようにランニングコストは継続して下がっていくものだと思っていると、ランニングコストの高さに不満を募らせ、ライセンス費用を出し渋るような事態になりかねない。

ベンチマークし過ぎていないか

 堅牢性の問題にしてもしかりだ。例えば、ビジネスの変化に対応するため、単純なシステムのパラメータ変更をするケースを考えてみよう。一度でも変更でミスを犯すと、これまで二重チェックで変更の確認をしていたのが、それでは心配だからということで三重チェック体制に強化するということなり、当然今までよりもコストがかかるようになる。

 コスト増が問題になると、「パラメータを変更するからトラブルの可能性が生まれる。ならば変更の頻度を下げよう」という話になる。これまで1日1回にしていたのを週に1回にしようと。そうすると今度はビジネスの変化に対応しきれない。結果的にスピードを犠牲にすることになってしまう。

 繰り返しになるが、スピードとコストと堅牢性は残念ながらトレードオフの関係になりがちなのだ。システムの運用についても「このシステムはコスト重視で」「こっちはスピード優先で」という単純な分類ではなくて、システムの持っている機能や重要性の分析から初めて、きめ細かく運用手順を決めていき、最終的にサービスレベルとして事業部門と合意を形成することが重要なのである。ITとはそうしたロジカルな世界であることが理解されないまま、感覚的に高いとか安いとか速いとか遅いとかいう議論になることは避けなければいけない。

 間違った議論になる背景の一つに、行き過ぎたベンチマークがあるのではないかと思っている。「競合他社ではこれだけのパフォーマンスが出るシステムをこの予算で作った」といった情報を耳にすると、そうした情報に飛び付いて安易な他社比較に走ってしまうというのは戒めるべきではないかと。他社事例から学ぶことは多々あると思うが、最終的には自らの価値判断と責任において決めていくという姿勢が大切だ。

 自分の家庭のことを考えてみよう。隣の家と比べて食費が高いか安いかを気にするだろうか。家族構成や収入、食事の嗜好、健康へのこだわりが違えば食費が違うのは当然だ。食べ盛りで肉好きの子供が3人いる家庭の主婦が、隣の老夫婦の食費を気にするだろうか。メーカーが銀行のベンチマークをするのもこれと同じことではないか。主体性を持たない経営はありえない。外を見ない方がいいこともある。

長谷島 眞時(はせじま・しんじ)
ガートナー ジャパン エグゼクティブ プログラム グループ バイス プレジデント エグゼクティブ パートナー
元ソニーCIO
長谷島 眞時(はせじま・しんじ)1976年 ソニー入社。ブロードバンド ネットワークセンター e-システムソリューション部門の部門長を経て、2004年にCIO (最高情報責任者) 兼ソニーグローバルソリューションズ代表取締役社長 CEOに就任。ビジネス・トランスフォーメーション/ISセンター長を経て、2008年6月ソニー業務執行役員シニアバイスプレジデントに就任した後、2012年2月に退任。2012年3月より現職。2012年9月号から12月号まで日経情報ストラテジーで「誰も言わないCIOの本音」を連載。