郵政民営化、赤字空港問題、コメ農業の保護問題、年金問題など、行政が仕切る「事業」にまつわる課題が絶えない。たとえば巨額の赤字、劣悪なサービス、非効率、過大な人件費、無駄な投資、既得権益の温床化など、様々な課題が繰り返し報じられる。批判を浴びるたびに謝罪やトップの更迭が行われる。だが数年後にはまた同じ指摘がなされる。いったいどうなっているのだろうか。

 筆者はもともと経営コンサルタントである。「民間では考えられない」という疑問をテコにこの15年ほど、民間企業の経営手法を公的サービスに導入すべく活動してきた。関与の立場は行政評価委員、首長の顧問、各種改革委員など様々だったが、一定の成果を上げてきたつもりだ。だが、振り返ってみると成功の秘訣は企業改革とはかなり手法が違う気がする。

「民間では考えられない」では解決しない

 公的サービスの課題を明らかにすること自体は簡単だ。多くの場合、明らかな過剰投資、過剰人員配置が目立ち、しかもサービスが悪く、生産性が低い。税金を使った事業なので収支データなどは公開されている。公開済みの数字だけでもかなりの課題があぶり出せる。情報は公開され、報道もされ、常に監視されている。

 だが、課題の解決は容易ではない。企業なら課題が露呈したら経営者の指示ですぐに組織が動く。社員も倒産の危機を意識し、頑張る。だが、公的サービスはそうならない。市民が激怒しようが、マスコミにたたかれようが、官僚制と官僚主義の壁が目の前に立ちはだかる。

 公的サービスでは、法令で決められた手続きに沿って事業が遂行される。公権力を行使して集めてきた税金を投入するからだ。すべての納税者が納得する方法となると法令に従うしかなく、臨機応変に目の前の特定顧客のニーズに対応するといった行為は許されない。これが官僚制であり、おかげで公平性と透明性が維持できる。

 だが、あっという間に手段は目的と化し、形式主義に堕する。すなわち官僚制が官僚主義に化ける。官僚主義は手続き至上主義だから費用対効果や顧客満足などは考慮しない。したがって経営改革は、何よりもまず官僚主義との戦いから始まる。そのうえでやっとまともな経営改革が始まるのである。

 ちなみに官僚主義との戦いの主役は事業執行者(たとえば図書館長、公社などの経営者、県庁局長など)ではない。彼らは官僚制度の中枢にいる。表立って改革に抵抗するわけではないが、機械のようにひたすら業務をこなす。経済原則や顧客満足には目もくれず、ひたすら手続きにのみ忠誠を誓う。心の持ちようや性根がいいとか悪いとかの問題ではない。事業執行を担う官僚の多くはまじめでいい人たちだ。しかし官僚制は機械のような没個性的な仕組みなのだ。

 官僚たちに業務プロセスの指示変更ができるのは唯一、政治家である。政治家は選挙を経て正統性を獲得する。大衆から税と権力の行使を委ねられており、官僚は政治の指示にのみ従う。したがって行政の改革はすべて、政治家が官僚主義に対峙することから始まる。そのあとでやっと経営の考え方、そして経済原則の出番となる。

(後編へつづく)

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山信一
慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。大阪府・市特別顧問、新潟市都市政策研究所長も務める。専門は経営改革、地域経営。2012年9月に『公共経営の再構築 ~大阪から日本を変える』を発刊。ほかに『自治体改革の突破口』、『行政の経営分析―大阪市の挑戦』、『行政の解体と再生』、『大阪維新―橋下改革が日本を変える』など編著書多数。