今回のブログは、米国の科学政策をひも解くものです。「シリコンバレーの秘密の歴史」シリーズでも語られてきましたが、米国の科学技術は、軍事産業と表裏一体で発展したことが分かります。第二次世界大戦まで、国家の技術政策を民間に任せていたという事実も語られています。(ITpro)

 米国は過去70年間に、基礎科学と応用科学の研究に巨額を投じました。米国政府による研究への資金投入は、第二次世界大戦中、ドイツと日本をうち負かすための兵器システムに対する米軍の要求から始まりました。第二次世界大戦後は、米国政府による研究への投資の責務は、兵器開発の研究機関および宇宙探査の研究機関(全て顧客ニーズに応じたもの)と、科学と医学の基礎・応用研究に資金提供する研究機関(専門家の意見に応じたもの)に二分されました。

 皮肉なことに、米国政府は強力な国家的科学技術政策を持っていたにもかかわらず、国家的な産業政策を持っていませんでした。政策の策定は、プライベート・キャピタル(私的投資機関)に任せていたのです。この方策は、米国の産業が米国内で製造している間は成功していましたが、採算性から多くの産業が製造を海外に移転したときから、成功率は低下しました。

 米国政府が投資政策を決定する代わりに、VC(ベンチャー・キャピタル)が、どの新しい産業が投資を受けるべきなのか、その方向付けをするようになりました。

 今回から始まる一連の投稿は、米国の科学技術政策がどのように始まり、資金がどこに費やされ、その結果、技術革新とアントレプレナーシップがどのように影響されたのか明確にする試みです。今後の投稿では、中国と世界との競争に直面した今、米国の科学技術政策をどう再考すべきか私見を述べさせていただきます。