今回は、ブランク氏が若いころの戦地での経験談です。エンジニアとして現地に赴いていた彼は、実は死と隣り合わせの生活であることを、ある出来事を通じて知ることになります。同僚の死を目の前にしたことが、彼のその後の人生観を形成していったと述べています。(ITpro)

 全ての人は、その後の人生に影響を与えるような出来事に出会います。今回の話は、そのような私の体験の一つです。私は、これまで銃撃された経験がありません。以前、私と毎日一緒に働いていた、もっと勇敢な人たちは、毎日その危険にさらされていました。1年半の間、私は毎日爆撃機が翼の下に爆弾を付けて飛び立つのを見ていました。ある日、数機の爆撃機が帰還しないことに気付き、初めてその危険性に身震いしました。

戦線での生活

 1970年代の初めに、米国はベトナム戦争に全面的に参戦していました。その戦争を支援するほとんどの戦闘機は、ベースにしているタイか、航空母艦から飛び立ちました(グアム島をベースにしていたB-52もありました)。当時私は19才で、熱戦のさなか、エレクトロニクス機器の修理を一生懸命学んでました。指示は最低限で規則はほとんどなく、人生で起こりうる全てのことが同時に起こりました。

写真●若き日のスティーブ・ブランク氏
写真●若き日のスティーブ・ブランク氏
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 私が、不平等な優位点を持っていたと気付いたのは、数十年後でした。私は、混乱に満ちた家庭でどのように混乱に対処すればよいかを学びながら育ち、ある程度の秩序を自分の小さな片隅に作り上げていました。私にとってその戦場は、生き残るために大切なこと以外は全て閉じ込めるという技を、初めて使った機会でした。

 しかし、タイの誘惑は10代の若者には圧倒的でした。安いセックス、安い麻薬(タイのマリファナは1ポンド=450グラムあたり20ドル、ゴールデン・トライアングルからのヘロインは本当に純粋で燻されており、アルコールはソーダより安価でした)。私は、友人がこれらを多量に使ったパーティーをして、そのうち何人かが相当の重症になったのを見ました。私はかなり若いときから、無節制の対価と節度の価値を学びました。