2012年夏から連載してきた「シリコンバレーの秘密の歴史」シリーズも、いよいよ今回が最終回です。11回にわたる連載では、同地域が「シリコンバレー」と呼ばれる以前から、戦争を背景とした諜報技術の開発で急成長してきたことを紹介してきました。この地域での諜報技術の急発展が米国の技術優勢を確かなものにして冷戦を終結させ、結果として民生機器への転用によるシリコンバレーの発展につながったと言えるかもしれません。(ITpro)

 1960年代の初めころまでに、サニベール市にあったロッキードのミサイル部門は、その後シリコンバレーと呼ばれる地域における最大の雇用企業へと急成長しました。ロッキードは、潜水艦搭載用のポラリス弾道ミサイル(SLBM)と同時に、「コロナ」と呼ばれた、CIA(米中央情報局)のための最初の写真偵察衛星を、イースト・パロアルト市で秘密裏に開発していました。

 スタンフォード大学の応用エレクトロニクス研究所によるエレクトロニクスおよび信号諜報の研究と、ロッキードのミサイルおよびスパイ衛星部門が出会うまでには、あまり時間がかかりませんでした。

ロッキードのアジーナ

偵察衛星コロナと、ブースターロケットのアジーナとソー
偵察衛星コロナと、ブースターロケットのアジーナとソー

 CIAのコロナ偵察衛星に加え、ロッキードはアジーナと呼ぶスペース・トラック(宇宙向け運送トラック)用の、別の組み立てラインを構築していました。アジーナは、ブースターロケット(最初はソー、その次はアトラス、そしてタイタン)の上に装備され、自身のロケットエンジンを内部に装備しており、秘密の衛星を宇宙に運ぶ任務を持っていました。

 ベル航空システムが開発製造したエンジンは、ハイパボリック推進剤を使用しており、宇宙航行中の衛星の軌道を変更するため、エンジンを再起動できるようになっていました。他の2段のロケットと違って、コロナ偵察衛星は、軌道上にある限りにおいてアジーナに接続されたまま航行したので、安定性があって正しい方向に向かい、回収カプセルが正確に地球に戻るように正確な方角が定められていました。

 アジーナはその後10年ほど、全ての米国の諜報衛星に使用されました。3種のモデルが開発され、毎月3台の計算として、10年間で約400台がサニベールの組み立てラインで製造され、ロッキードのサンタクルーズ山系のミサイル試験場でテストされました。