2012年にITproが公開した「記者の眼」90本の中で、最も読まれたのは『萌えるSEと燃える営業、永遠の闘い』と題する拙文であった。全記事を対象にした年間アクセスランキングにおいても、総合4位に入った。

 年間ランキング全体の紹介記事を執筆した吉田琢也ITpro編集長(現・日経コンピュータ編集長)は、上位10本のうち、4位、5位、7位、10位に触れなかったが、5位、7位、10位の記事は分野別ランキング紹介記事の中でそれぞれ言及されている。

 つまりランキング上位10本中、ITpro編集部が触れなかったのは拙稿だけであった。しばしば締切に遅れることに対する報復かもしれないが、「2012年に記者の眼を16本も書いたではないか」と言いたい気持ちもある。とはいえ、怒りはしなかった。どう紹介してよいものか編集部が扱いに困る内容だったと筆者自身思っているからだ。

 黙殺のお詫びかどうか、ITpro編集部から「記者の眼スペシャルを書く名物記者10人に選抜したから原稿を書け」と依頼があった。筆者は記事の見出しに「スクープ」と自分で付けたり、自社の記者を「名物記者」と呼ぶのは嫌いである。「スクープ」や「名物記者」かどうかは読者か他社が決めることだ。IT企業が新製品を出すとき、「いまだかつてない名機」と資料に自分で書いたらITpro編集部は嗤うに違いない。ここまで勢いよく書いたが、過去のニュース記事に「スクープ」と自分で付けたことが一度もないのかと問われるといささか怪しい。

12年間で書いたSE向けコラムは176本

 昨年末の一件を根に持っているように見えたら誤解である。色々ある仕事の中で、原稿書きは最も楽しく注文があると嬉しい。有り難い機会であるから過去に書いた記者の眼の“棚卸し”から始めてみた。数えてみると、筆者が12年間に書いた記者の眼は140本あった。本稿が141本目になる。記念すべき141本目と胸を張りたかったが、印象に残る数字ではない。それでもせっかく数えたので何年に何本書いたか報告する。

■2012年 16本
■2011年 18本
■2010年 15本
■2009年  8本
■2008年 12本
■2007年  9本
■2006年  9本
■2005年 11本
■2004年  7本
■2003年 17本
■2002年 13本
■2001年  4本
■2000年  1本

 野球選手のホームラン数や関取の勝ち星なら並べることに意味があるが、筆者の場合さしてなかった。昔あった『記者のつぶやき』というコラムに、別途36本書いていた。『記者の眼』と『記者のつぶやき』で、合計176本のコラムはすべてSE(システムズエンジニア)の方々に向けて書いたつもりである。「SE」という言葉は「ITエンジニア」「ITプロフェッショナル(ITpro)」に押され気味のようだが、やはりSEと書きたい。

 SEとは何かについては、何度か書いたので省略する(『「SE」は和製英語にあらず』『ITproは専門家にあらず』)。システムに関わる仕事をされている方であれば、情報システム部門所属でも情報システム関連会社勤務でもIT企業社員でもすべてSEである。