マクロ経済学で習う「節約のパラドックス」とは、ミクロな視点で節約は良いことだが、マクロな視点では悪い結果をもたらす構図のことだ。個々の家庭で浪費をせず節約することは貯蓄を増やし家計を安定させる良い効果があるが、全家庭が節約して消費を押さえてしまうと景気が悪くなり、その結果、家計収入が減るという悪い結果がもたらされてしまう。

 筆者はソフトウエアについても、これに似た構図があるように思う。すなわち、品質の高いソフトウエア製品を求めるが故に、主要なソフトウエア製品が日本から生まれない、という構図だ。

 主要なソフトウエア製品に日本発のものはほとんどない、というのは異論の余地はないだろう。OS、データベース、ミドルウエア、JavaやHTMLなどの要素技術、Webサービス、どれをとってもメジャーなものは日本発ではない。この状況を受けてよく聞く議論は「ハード製品では日本は多くの分野で世界をリードしてきたのに、ソフトウエアを作る日本のITエンジニアの技術力はどうしてそんなに低いのか」というものだ。

 筆者は外資系の会社にいたこともあり、日本のITエンジニアも米国のITエンジニアも見てきた。日本の尺度で優秀とされるエンジニアは米国の尺度でも優秀で、両国のエンジニアの技術力に差はない。

 主要なソフトウエア製品に日本発がないのは、それを作る側より、むしろ採用する側に起因していると筆者は思う。良く言えば、米国企業は日本企業よりリスクを取って製品を採用する。悪く言えば危なかしい。米国のITベンチャーの作るソフトウエア製品には、日本製品では考えられないようなバグが残っていることが多く、品質は決して高くない。しかし、米国企業の利用者は「ソフトウエアはそんなものだ」と思っているところがある。

 一方、日本企業の担当者は新しいソフトウエアの導入には慎重だ。求める品質は非常に高いので、よほど技術の目利きができて確信を持って導入を進めていける人でなければ、実績のない新規ソフトウエアは導入されない。

 日本の利用者はしっかりした技術に裏打ちされた最高の品質の製品やサービスを求める。提供する側もそれに応えようとするので、まず日本市場で通用する品質を作り込めば、世界中どこでも通用する。この好循環は、家電などの製造業、流通などのサービス業、アニメなどのコンテンツ分野で、少なくとも最近までは成り立っていたように思う。

 しかし、この循環はソフトウエアではうまく回っていない。日本企業の担当者は、革新的すなわち実績が少ない製品を採用するのに慎重である。誰かが使わない限り実績はできないが、海外に目を向けると製品の導入実績がある。先述したように米国企業はリスクを取って製品を採用する傾向が強いからだ。つまり、短期間で作られた、たいして品質の高くない製品がまず米国企業で採用され、バージョンアップにより品質が多少ましになってから日本に上陸する構図だ。

 かくして、ミクロの視点で品質の高いソフトウエア製品を求めるという各企業にとって良い行動が、日本全体というマクロの視点で見ると主要なソフトウエア製品が育たず、結局それほど品質が高いわけでもない海外製品を使わざるを得ないという結果を導く。ITエンジニアの技術力の問題ではなく、日本は革新的なソフトウエア製品を育むのが難しい環境であるということだ。

 構図が分かったところで、我々に何かできるのだろうか?製品によっては海外から先に展開するという手段もあるだろう。あるいは、最初は個人の消費者に提供して品質を作り込んでいくアプローチもある。筆者も新規ソフトウエア製品の普及を目指す企業の代表の一人として、現実を直視しつつ、その打破のための知恵を絞りたい。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力