著者に聞く

 福島第一原発の事故で「燃料棒冷却作戦」の指揮を執った著者。原発事故という極限状態で、任務遂行と部下の安全確保というはざまに置かれた。その時に下した決断から、真の現場力が見えてくる。

(聞き手は、山端 宏実=日経情報ストラテジー、和田 惣也)

佐藤 康雄氏佐藤 康雄(さとう・やすお)氏
NTT都市開発シニアスペシャリスト。1952年3月東京都生まれ。1975年に東京消防庁に入庁し、2010年に警防部長。2011年3月に定年退官。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、燃料棒冷却作戦の指揮を執った。そもそも燃料棒冷却作戦とはどういうものだったのか。それを消防が担うことになった経緯を教えてほしい。

 我々のミッションは、福島第一原発の燃料棒貯蔵プールに継続して大量の放水ができるシステムを構築することだった。その任務を放水のプロフェッショナルである消防が担うことになり、東京消防庁の警防部長だった私が現場で指揮を執ることになった。2011年3月18日に東京を出発し、翌19日にミッションを終えた。

 当初、私は隊員が現場に行かなくてもよい仕組みを検討していた。まさに生死がかかったプロジェクトであり、現地に赴く隊員は1人でも少ない方がいいと考えたからだ。そこで、遠隔で操作できる無人放水システムというアイデアを考えた。「官邸危機管理センター」に話を通せる幹部にも説明した。

 しかし、今回はエネルギーの量が膨大で、それを遠隔でコントロールすることは不可能だった。

部下とともに現地に向かうに当たって、心掛けたことは何か。

 大切な隊員だが、放水システム構築のチャンスは一度きりだった。だから隊員の相当数が怪我をしたり、後遺症が出たりするかもしれないが、やるしかないという思いだった。隊員の安全管理には万全を期していたが、それを超える事態が起こる可能性が十分にあった。その時、私が責任をとるしかないと腹をくくっていた。

 現場ではがれきが散乱し真っ暗なうえに放射線量は日増しに高まっていた。作戦を中断し、体制を立て直す余裕はなかったため、急いで2班編成に切り替えるなどして、難局を切り抜けた。

こうした極限状態で刻々と変わる事態を見極めて、適切に行動するためには何が必要か。

 1つは「イメージの共有」だ。現場で部下に手取り足取り指示を出す余裕はない。だからこそ、日頃の訓練のなかで部下と同じイメージを共有しておかなければいけない。また、自分の考えや予測を外れる動きにこそ注意を払い、変化に対応しなければならない。

 もう1つが「情報のトリアージ(選別)」だ。災害の現場には膨大な量の情報が入ってくる。現場を混乱させないためにリーダーは、そのどれを拾い、どれを捨てるのかという判断を下さなければならない。判断の基準は、それが行動に結びつくかどうかだ。情報を得てその先を読む力が現場リーダーには必要といえるだろう。一般の企業でもその基本は変わらないのではないか。

なぜ、その「決断」はできたのか。

なぜ、その「決断」はできたのか。
佐藤 康雄著
中央経済社発行
1785円(税込)