「シリコンバレーの秘密の歴史」シリーズの第4回では、1950年代のスタンフォード大学と軍需の緊密な関係が示されています。大学の研究者や技術者がスピンアウトして、ベンチャー企業を立ち上げるという、シリコンバレーの文化が形成され始めました。(ITpro)

 スタンフォード大学のエレクトロニクス研究所(ERL)を電子諜報活動と電子戦略システムのメジャープレーヤーにしたのは、朝鮮戦争でした。工学部長のフレッド・ターマン教授の薦めにより、科学者やエンジニアがスタンフォード大学のERLを辞めて、米軍のためにマイクロウエーブ真空管やシステムを開発、製造する企業を設立しました。米軍からの資金援助によって、1950年代のこれらのスタートアップ企業が、シリコンバレーの文化と環境の形成に貢献したのです。

はじめに――1950年ころの「真空管バレー」のエコシステム

 1946年に設立された段階から、スタンフォード大学のERLは、マイクロウエーブの周波数範囲内で作動する真空管の基礎研究を行っていました。この研究は、海軍研究局(ONR)からの資金でまかなわれ、後に空軍と陸軍も資金を提供しました。この基礎研究のほとんどは、スタンフォード大学工学部の教授陣と上級研究員の指導のもと、優秀な学生あるいは博士号を取得して間もない人たちが携わりました。

 ターマン教授は、1950年の海軍への提案書の中で「スタンフォード大学による提案は、周囲の関連企業と理想的に相関できています」と記しています。「この地域には、既に真空管製造企業としてエイテル・マクロー、リットン・インダストリー、バリアン・インダストリー、ヘインツ・カッフマン、ルイス・カッフマンが存在し、これらの企業は真空管の基礎研究、先端技術開発、新しい真空管製品のエンジニアリング、モデル・ショップ、試作品製造、量産などの統合的機能を備え、提供しています。近辺の企業数社は回路設計をしており、特にヒューレット・パッカードは、この分野で知られています」と、1950年代には既に当バレーに真空管を開発製造するエコシステムがあることを、ターマン教授は説明していたのです。

 シリコンバレーにある大多数の既存の無線受信器向け真空管製造企業と違って、スタンフォード大学のERLには、非常に特殊なニーズを持った特異な顧客がありました。それは、米空軍とその戦略空軍司令部(SAC)でした。

 では、ERLがデザインしていたのは、一体何なのでしょうか。そのマイクロウエーブ真空管は、何だったのでしょうか。それが米軍にとって、なぜそれほど重要だったのでしょうか。そして、これらの電子諜報と戦略システムは、何に使われたのでしょうか。

スタンフォード大学は冷戦に参加した――マイクロウエーブ電力増幅管

 スタンフォード大学が研究していたマイクロウエーブ電力増幅管は、戦略空軍司令部にとって最も重要だった、冷戦時における2つの問題を解決したのです。

 1950年代の核戦争時において、戦略空軍司令部は核兵器を積んだ爆撃機を、ソ連領土の上空に飛行させる計画を持っていました。ソ連は国を守るため、攻撃して来る爆撃機を探知し、追跡し、破壊する制空防衛システムを構築していました。米国の爆撃機は、ソ連の制空防衛システムのレーダーを混乱させるため、ジャマー(妨害装置)を搭載していました。しかし、第二次世界大戦で使っていたジャマーは、当時ソ連に送り込もうとしていた爆撃機を保護するジャマーとしては、もう役に立ちませんでした。

 これらの1940年代のジャマーは、第2次世界大戦中にターマン教授が責任者を務めていたスタンフォード大学の研究所チームが開発したものです。ラジオ受信器用に作られた、出力が5ワットの真空管を利用していました。第2次世界大戦において、空爆は数百機のフォーメーションによって、ある一つの標的に対して一日一回攻撃したので、各ジャマーの出力が微弱なものでも効果が出せました。一つの空爆ミッションで結集されたジャマー出力は、ドイツのレーダーを混乱させるのに十分でした。

 しかし、冷戦時代においてソ連を攻撃する場合、米国の爆撃機は多数のフォーメーションで一つの標的を攻撃するのではなく、ソ連の複数の標的を同時に攻撃する計画でした。ソ連領土に数機の爆撃機が侵入し、各機は、第2次世界大戦中の総爆弾破壊力よりも大きな爆破力を搭載し、標的に近づくのです。この戦略と破壊力の変更の結果、各爆撃機は自らを守るために、十分なジャマー力を自機に備えなくてはなりませんでした。

B-47――1950年代の主力、戦略空軍爆撃機
B-47――1950年代の主力、戦略空軍爆撃機