“No One Noticed”

 Fredの欲望を如実に物語るのが,エピソード1で仕掛けた実験だ。デジタルで撮影したシーンを幾つか紛れ込ませ,実際の観客の反応を見ようというのである。Fredと彼のチームは,ジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジンを演じるLiam Neesonと,若き日のオビ=ワン・ケノービ役のEwan McGregorが登場する,惑星タトゥイーンでのシーンを,1997年のうちに撮影しておいた。ソニー製のHDTV対応デジタル・ビデオ・カメラ「HDC-500 HD」を,デジタルVTR「HDD-1000」と組み合わせて使った。Fredは,デジタル撮影したシーンとフィルムで撮ったシーンの違いに観客が気付くかどうかを見たかった。

 彼のもう1つの狙いが,デジタル撮影した素材を,映画のポスト・プロダクション工程でどう扱えるのかを試すことだった。結果は散々だった。「全くダメだった。多大な労力を払わない限り,乗り越えられないハードルがあった。フレーム速度の違いだ」(Fred)。放送用のHDTVビデオ・カメラが30フレーム/秒で撮影するのに対し,映画は24フレーム/秒が基本である。加えてFredは,放送用HDTVビデオ・カメラやレンズの設定や撮影した映像の雰囲気を,もっとフィルム・カメラに近づける必要があると感じていた。

 Fredを勇気付ける結果も出た。観客の反応である。正確に言えば,反応がなかったことだった。彼の言葉を借りればこうだ。「結局,フィルムとデジタルの違いに誰一人として気付かなかった」。

The Path to 24p

 ソニー側では,Lucasfilm社が望むカメラにつながる作業が着々と進んでいた。ソニーはNHKと協力して,携帯型のHDTVビデオ・カメラを開発した。1998年2月に開催した長野オリンピックで使うためである。このカメラは1997年末,「HDW-700」として発表された。1920×1080画素のインタレース方式に対応し,60フィールド/秒で撮影ができた。その噂を聞きつけたLucasfilm社は,HDW-700を基に,プログレッシブ方式で24フレーム/秒―業界では「24p」と呼ぶ―の撮影が可能なデジタル・カメラの開発を,正式にソニーに依頼する。1998年春,ソニーの代表取締役社長だった出井伸之の元に,George直筆の依頼状が届いた。

 三上がLucasfilm社との共同開発に巻き込まれたのが,この時である。「1999年10月までに24p対応のHDTVビデオ・カメラの試作機を開発せよ」。経営陣が三上に下した命令がこれだった。三上が選ばれた理由は,ソニーに入社して4年後に赴任したフランスで,放送分野のマーケティング部隊を5年間率いた経歴にあったのかもしれない。彼には十分な海外経験があった。

写真1●Yasuhiko Mikami
写真1●Yasuhiko Mikami

 当時,厚木の事業所にいた三上は,Lucasfilm社の要求を聞いた時の,自身と同僚の反応をよく覚えている。「一体何でフレーム速度を下げなきゃならないんだ? 30は24よりいいに決まってる。24じゃ,PALよりも遅いんだよ?」。

 Fredによれば,24pが必要な理由は,特殊効果を加えるポスト・プロダクション工程や,劇場公開で使うフィルムの基になるマスタ・フィルムを作成する工程にある。いずれも,既存のフィルム・カメラやプロジェクタの速度である,24フレーム/秒を前提にした工程だ。「ポスト・プロダクションに使う24pの素材を得るためだけに,新たな工程を追加したくなかった」(Fred)。

 撮影したビデオ素材を映し出すモニタの問題もあった。当時の技術では,CRTモニタが採用する60~80フィールド/秒の速度で,撮影したHDTV品質の映像を表示することができなかった。仮に24フレーム/秒の映像をそのままモニタに映すとしたら,許容し難いフリッカが生じることになる。

 Lucasfilm社は,24pで撮影できるデジタル・カメラと,それに対応するモニタさえあれば,デジタルで撮影した素材を,映画のポスト・プロダクション工程に組み込めることを悟った。ソニーの技術者がそれを納得するには,何度かミーティングを重ねる必要があった。