一人ひとりの消費者を対象に、過去の購買履歴などのデータに基づいて、それぞれの嗜好に合致した商品やサービスを提供する――。ビッグデータが販売革命を起こし始めた。その取り組みは、街中の100円ショップやパン屋、化粧品店から自動販売機まで、あらゆる業種へと広がりつつある。鍵になるのはデータを加工する分析力だ。

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 202×年5月の休日の昼下がり。30代のAさんは妻とドライブに出かけた。高速道路を降りて一般道へと出た瞬間、車内に着信音が鳴り響く。妻が手にしたスマートフォン(高機能携帯電話)の画面に、1通のメールが表示されていた。

 「日本初上陸、キャリア女性に人気のある米国ブランドのお店が500m先にオープンしました」。画面には地図と電話番号。先日、妻に買った洋服の情報を基に送ってきたらしい。

 立ち寄ってみると、店の入り口は狭く、外装はガラス張りだが、外から店内の様子を見ることはできない。どうやら買い物中の顧客のプライバシーに配慮しているようだ。だが妻がショーウインドーの前に立つと、妻の体の動きに合わせて新作の服がいくつも映し出される。スマホをかざすと扉が開き、入店することができた。

 店内にレジはなく、妻の選んだカットソーを手にして店内のゲートをすり抜ける。商品購入の決済は、スマホと商品をゲートにかざすと自動的に完了。出口付近に構えた店員が、丁寧に袋に詰めて、見送ってくれた。

 翌朝。出社途中のAさんが地下鉄のプラットホームで自動販売機の前に立つと、コーラ好きのAさんに、コカ・コーラとペプシ、そしてボタンの映像が映し出された。

 「今日はペプシにするかな」。Aさんはペプシを選択するボタンを押し、スマホの電子マネー機能を使って支払いを済ませた──。

 一人ひとりの消費者を対象に、過去の購買履歴などのデータに基づいて、それぞれの嗜好に合致した商品やサービスを提供する。未来の一風景として描いたこのAさん夫妻の体験は、決して夢物語ではない。実は、多くの企業が近い将来での実現を目指して、密かに試行錯誤を繰り返している。

 背景には、古くからあるPOS(販売時点情報管理)システムに加え、ウェブサイトやICカードなどを介して、従来とは比較にならないほど膨大な量のデータを集められるようになったことがある。そのケタ違いの量から、「ビッグデータ」という専門用語も一般に浸透し始めている。

 さらに電子データの保管技術や処理技術の進化によって、膨大な量のデータを保管し、従来よりもはるかに短い時間で分析できるようになった。

背景に従来ビジネスの行き詰まり

 こうしたIT(情報技術)の進歩に加え、「ある問題が企業をデータの活用へと駆り立てている」と国立情報学研究所の佐藤一郎教授は指摘する。その問題とは、これまでのマーケティング手法が通用しなくなっていることだ。

 従来は、家事を手がける主婦や10代の若者といった特定の顧客層を設定して、そこに向けた商品を開発して大量に生産する。そしてマスメディアを通じて大々的に広告を打ち、大量に販売するやり方を踏襲してきた。

 ところが今では、このように同じような商品を大量に生産して販売することは困難になっている。こうした窮状に直面しているところへ、ビッグデータという言葉とともに、企業が蓄積してきた膨大なデータを分析して、消費者ごとの嗜好や消費行動を把握しようとする試みが登場してきた。

 「一人ひとりの嗜好や消費行動が分かれば、それに応じた商品やサービスを開発してヒットさせる確率を高められる」。こう期待した企業がこぞってデータの活用に乗り出したわけだ。

 現時点でのデータ活用の中心は、既存の商品やサービスを、それらに興味を持ちそうな消費者に訴求して販売量を増やす取り組みだ。既に実用化で先行して大きな成功を収めているのが、インターネット小売り最大手の米アマゾン・ドット・コムやネット検索最大手の米グーグルである。

 アマゾンはユーザーの購買履歴やウェブの閲覧履歴などを基に、個々のユーザーが興味を持ちそうな商品を表示したり、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とほかのユーザーが購入した商品を推奨したりして購買意欲を刺激し、販売を伸ばしている。グーグルもユーザーの検索キーワードに連動した広告を表示するなどの方法で、広告収入を増やしてきた。

 データを活用して販促を強化しているのは、アマゾンやグーグルのようなネット企業だけではない。電子商取引を手がけていない企業の間でも、進化した保管・処理技術を利用して、過去の商品の販売データを詳しく分析し、販売予測の精度を高めるといった取り組みが広がっている。

 スマートフォンやタブレット(多機能携帯端末)、ICカードの普及やPOSシステムの価格低下が、中小企業における試みを後押ししている。

 今後は、個々の患者に合ったオーダーメードの医薬品など、データを活用した新製品や新サービスの開発が本格化する期待も高まる。消費者の目に触れない企業の舞台裏で静かに広がり始めた「データ革命」の実例と将来に向けた課題を以下では見ていく。