ISOWAがプロジェクトへの参画を通じて鍛えてきた社員の考える力というのは、知識として習得されたものではない。座学でスキルや知識をいくら詰め込んでも、現実の仕事の場面では、それに投下した労力やコストに見合うほどには力が発揮されないものである。

 つまり、「深く考え抜き、それによって何らかの知恵を創出する」という行為は、知識をいくら豊富に蓄えてもそれだけで生まれるとは限らないということだ。いくら知識量を増やしても、また、ロジカルに考えるスキルを勉強したとしても、それだけで考える力が飛躍的についていくことはない。というのも、考える力は、(1)考えざるを得ない環境と、(2)物事の意味や目的をしっかりと腹に落としながら考え抜いていく姿勢(それによってもたらされる視野の広さ)があって初めて身につくものだからだ。

 言うまでもなく、与えられた情報をただ単に知識として記憶するだけなら、座学は効果的である。しかし、情報が単なる知識として保存されるだけでは意味がない。もともと情報というのは、取り入れる側の事情次第、状態次第で消化のされ方が全く違ってくる。幅広い視野の下に、能動的に使われることで初めて役に立つものなのだ。

 対話を繰り返し、一緒に考えることで得られる刺激を通した視野の広がりが、物事をさらに深く考え抜くための前提を作る。心に残った議論を何日も考え抜き、その結果、考えが一皮むけるというのはよくあることだ。

 考えるというのは単に記憶するというように単純なことではなく、試行錯誤のプロセスを含んで初めて成り立つ。そして、この試行錯誤はいつも独りでやっていると、極めて効率が悪い。「MANZOKU調査隊」のように一緒に話す相手がいて、やり取りがあって気づかされることが多いからだ。チームで考えることが考える力をはぐくみやすいのは、複数のメンバーで情報のやり取りをするからである。

 まず、「正確に伝える」というプロセスを成功させなくてはならない。現象を伝えるだけなら比較的簡単だが、考えていることや思考のプロセスは相当話し込まないと相手に伝わらないし、理解もされない。理解されないとコラボレーションも生まれようがない。それに一度くらい話しただけで腹に落ちることもあまりない。

 こうしたやり取りという試行錯誤と相互作用を繰り返していくなかで、気づくきっかけをキャッチするタイミングがやってくる。そういう意味では、深く考え抜くというプロセスを成功させるためには「情報をやり取りできる仲間」と「時間」が必要なのである。

 ISOWAで行われているプロジェクトはどれも、こうした試行錯誤を盛り込んだ話し合いを重視してきている。一口に「話し合いを重視する」というだけなら、大抵の会社が同じことを言っているから、これだけでは何の変哲もない。しかし、ISOWAでの話し合いの中身は決定的に違う。

 どこに違いがあるのかといえば、単に話し合っているのではなく、しっかりと時間をかけ、「何のために、どういう意味があるのか」を、話し尽くすところまでとことん話し合っていることだ。

 例えば、2007年に始まったMANZOKU調査隊では、その調査項目を決めるまでに2年弱にわたって話し合いを継続してきている。もちろん、ただダラダラと話し合いを続けてきたのではない。意思決定する力がないから、話し合いを何となく続けてきたのでもない。「そもそもと根源まで考え抜こう」という姿勢が一貫していたということだ。