新しいネットの巨人として、フェイスブックが注目されている。登録ユーザー数は全世界で9億人を超えた(2012年8月時点)。日本でも登録ユーザー数が急増している。
 本連載では、『フェイスブック 若き天才の野望』の共訳者である滑川氏が本書の内容を基に、フェイスブックの本当の威力と同社を率いる若きCEO、マーク・ザッカーバーグを紹介する。

 フェイスブックは決してソーシャル・ネットワーク・サービスのパイオニアではない。ユーザープロフィールの登録、ユーザー間のコミュニケーションなどの機能を備えた最初の大規模なソーシャルネットワークは、2002年に創立されたフレンドスターだった。しかしフレンドスターはユーザーの拡大にサービスの拡張が追いつかず、反応が遅くなり、たびたびシステムダウンを起こすようになって人気の急落を招いた。

 一方、2003年7月に創立されたマイスペースはフェイスブックが2004年2月にスタートしたとき、すでに100万人のユーザーを集め、さらにロケットのように急上昇中だった。また、グーグルもフェイスブックより1カ月前に、オーカットという独自のソーシャルネットワークをスタートしていた(ちなみに日本のミクシィのベータ運用の開始は2004年2月で、フェイスブックのスタートと同年同月)。

 そうした既存の巨大なライバルを追い越してフェイスブックだけが「一人勝ち」できた原因はどこにあったのだろう?

何よりも「ユーザー体験」を優先する

 多くの幸運な要素があったことはたしかだ。その一つは人脈である。プロダクトの開発に関しては、大学の寮の同室の学生にたまたまダスティン・モスコヴィッツとクリス・ヒューズという超一流の才能の持ち主がいたこと、エクセター・アカデミーというザッカーバーグが卒業したエリート高校の同窓生にアダム・ダンジェロという優秀なプログラマーがいたこと。また会社の組織づくりの面では世界初の音楽共有サービス、ナップスターの創立者としてシリコンバレーで知らぬもののない天才起業家、ショーン・パーカーの参加を得られたことだ。

 しかし、いかにそうした幸運が重なろうと、それだけでフェイスブックにユーザーが集まってくることはない。決定的な要因はフェイスブックというプロダクトの品質である。ザッカーバーグは「世界を変える」という遠大なビジョンを抱いていたが、同時に偏執的なほど、プロダクトの品質管理にこだわった。

 ザッカーバーグは資金が自分と友達のポケットマネーしかない状態でも、サーバーの反応が1秒でも遅れることを許さなかった。「サーバーの反応が遅れ始めたらぼくらは破滅だ。フレンドスターの二の舞になってしまう」というのがザッカーバーグの口癖だった。当初フェイスブックは、大学ごとに順次サービス開始していったが、をまず十分な数のサーバーを買い、ホスティングサービスに設置してからでなければ、決して新たな大学にフェイスブックを拡張しなかった。

 ザッカーバーグにとっては「ユーザー体験」が絶対だった。2006年5月、まだフェイスブックにほとんど収入がない時期にコカ・コーラ社は、スプライトのキャンペーンの一環として「フェイスブックの基調色を1日だけ緑色にしてくれたら100万ドル支払う」と持ちかけたが、ザッカーバーグはにべもなくはねつけた。「広告が嫌いなんじゃない。ユーザー体験を損なうような広告が嫌いなんだ」と彼は繰り返した。