医薬品卸の東邦薬品では、意思や薬剤師から聞いた話を営業担当者がタイムラグ無く音声で報告できる仕組みを導入した。電話をかける時と同じようにスマートフォンに声を吹き込むと、音声認識によって瞬時に文字情報に変換される。

 そのスピードは手で文字を打ち込むよりも速い。しかも認識率はほぼ100%だという。あとは送信ボタンを押すだけで、東邦薬品と医薬メーカーにメール送信される。2000人の担当者から月間5万件もの情報が届き、医薬メーカーとの商談に役立てている。長年コールセンターを運営して得たノウハウに基づき、独自の音声認識辞書を開発して、営業力の差別化に結びつけた。

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 東邦薬品には「MS(マーケティング・スペシャリスト)」と呼ばれる営業担当者がグループ全体で約2000人いる。MSの主な仕事は医療機関や調剤薬局を回って医師や薬剤師と会話をし、処方した医薬品に対する生の情報をかき集めることである。常にスマホ(ウィンドウズモバイル端末)を持ち歩き、知り得た情報を蓄積していく。医薬品の注文を入力したり過去の発注履歴を調べたりすることができるし、約30万件ある商品マスターからリアルタイムの在庫情報や欠品情報、価格情報などを検索して、医師や薬剤師に伝えることも可能だ。

 こうした業務端末としての利用もさることながら、東邦薬品の最大の特徴は医師や薬剤師から聞いた話をタイムラグ無く、医薬メーカーにフィードバックする“中継機”としてスマホを活用していることである。東邦薬品は医薬メーカーへの情報提供を「MSプロモーション」として、2009年3月期の下期から有償サービスに仕立て上げることに成功した。現在、医薬メーカー6社と年間契約を結んでおり、2011年3月期は期首の計画を2億円上回る10億円の手数料収入を達成。2012年3月期は18億円を目指している。

音声で情報吹き込みメールに変換

 MSは医師や薬剤師と会話が終わると、スマホで電話をかける時と同じように、自分の声でたった今聞き知った情報を端末に吹き込む(図1)。例えば、「呼吸器感染症の患者さんに医薬品Aを○mg投与したが、症状が改善しないので△mgに増やしたところ、すぐに熱が下がったとのことです」といった具合だ。

図1●東邦薬品のビフォーアフター
図1●東邦薬品のビフォーアフター

 するとその声が音声認識によって、端末上で瞬時に文字情報に変換される。そのスピードは手で文字を打ち込むよりも速い。しかも認識率はほぼ100%である。文字情報は電子メールの送信フォームに出力されるので、あとは送信ボタンを押すだけで、医薬メーカーのMR(医薬情報担当者)にリアルタイムで届く仕組みになっている(図2)。

図2●東邦薬品のMSが医師や薬剤師の話をスマホに音声で吹き込むと文字変換され、医薬メーカーのMRにメール転送される
図2●東邦薬品のMSが医師や薬剤師の話をスマホに音声で吹き込むと文字変換され、医薬メーカーのMRにメール転送される
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 MSに利用を促す営業本部企画推進部課長の山田裕之マーケティングチームリーダーは、「どの医薬品をどれくらい(人数や量)、何の症例に使ったのかという情報を吹き込んでくれ」と伝えている。こうした処方情報こそ、医薬メーカーが最も欲しがっているものである。医師や薬剤師が語る医薬品の評判や処方動機、競合品との比較、副作用なども欠かせない情報だ。今では月間5万件ものMSプロモーション情報が蓄積され、医薬メーカーに随時メールで送られている。

音声認識辞書を独自開発

 MSプロモーションを可能にしたのが、スマホに搭載している音声認識機能である。とりわけ、東邦薬品が独自に用意した医療業界用語が満載の音声認識辞書の役割が大きい。様々な専門用語や略語、外国語が飛び交う医療の現場で交わされる会話の内容を漏らさず正確に伝達するのに、この辞書の存在は不可欠だった。東邦薬品は長年コールセンターで音声認識辞書のノウハウをため、2008年に実装した。市販の音声認識ソフトを買ってきただけでは、MSプロモーションは実現できなかった。現在のところ、競合する医薬品卸は同様の機能を用意できておらず、他社との差異化要因になっている。

 2008年当時、東邦薬品はペン入力式の別のスマホを使っていた。だが2011年3月から現在のタッチパネル式のスマホに切り替えを始めており、音声認識機能も引き続き搭載した。2012年3月期中に新端末3000台が稼働する予定である。

 既に約3年の実績があり、現場では多くの成功例が積み重なってきた。例えば、午前中に医師を訪問したMSが「○○先生が医薬品Bの情報を知りたがっています」と吹き込んだことで、メールを受け取った医薬メーカーのMRがその日の午後にはこの医師を訪ね、医薬品Bの説明を済ませて医師に驚かれたといった話である。こうした素早い動きから、結果的に受注量が増えたケースもある。山田リーダーは「医師は今まさに抱えている患者に役立つ情報を欲している。そのタイミングを逃すと関心が別に移ってしまう」。MSプロモーションはここに商機を見いだしたお役立ちサービスといえる。医薬メーカーからは好評だ。

 音声認識で文字情報にした内容は、東邦薬品本社にも自動送信されている。本社で集計して医薬品の処方傾向や評価を分析。東邦薬品は医薬メーカーとの本部商談に役立てている。

 以前は現場の情報をMSが紙に書き留めたり、電話で伝えたりしていた。そうこうしているうちに記憶が薄れ、情報そのものに漏れが生じたり、失念したりしてしまう。そうならないために、MSは聞いたそばからスマホに声を吹き込むのである。