生川は奔走し、ゼロから在宅医療専門の診療所を石巻に作った。被災地域の壊れた自宅で暮らす、在宅避難者の健康状態を書き留めたヒアリングシートのデータベースへの入力には、社内で募ったボランティアが活躍した。9月、野口の元へ仙台市内で支援物資の管理をしていたNPOの担当者から連絡が入る。支援物資を管理する富士通のシステムが一通りの役目を終えたという知らせだった。=文中敬称略

【前回より続く】

たった3か月で終わり、きれいな終わり方ができた良い事例

 9月、野口の元へ連絡が入った。仙台市内で支援物資の管理をしていたNPOの担当者からだ。巨大なテントの中の物資を、富士通のシステムで管理する。連絡は、それが一通り役目を終えたことを知らせるものだった。

「普段なら、あり得ないですね。システムは5年10年と使われて、またそこでリプレイスされていくのが常ですが、この場合はたった3か月で終わり。わっと作ったものを、きちんと使い切っていただいて。こうやってきれいな終わり方ができたというのは、私としては非常に良い事例だったと思っています」

 もう一つ、野口の印象に残っていることがある。津波で大きな被害を受けた陸前高田市の仮設住宅へ、市を通じて自社製の携帯電話「らくらくホン」を寄贈した、そのあとのことだ。

「我々の構想としては、らくらくホンを使った見守りというようなことにつなげていけないかというのもあったのですが、手にした皆さんは、メールでのやり取りに使っているんですね。ブログなどで、らくらくホンの使い勝手が良いというメッセージをいただきました。他人が見たら、単にらくらくホンを渡しただけだと思うかもしれませんが、私からすると、そこにたどり着く接点を持つまでに、どれだけのことがあったかを思わざるを得ません」