3月14日、プロジェクトが始動した。15日には、野口と生川が所属する災害支援特別チームが発足。生川はチームに加わるメンバーを募った。情報収集するなかで生川は、被災地の実態をもっとも把握しているのは、国でも県でも市町村でもなく、地域に深く入り込んでいるNPOだと確信する。 そして、野口は初めて被災地に入る。=文中敬称略

【前回より続く】

現地でしか、わからない

 野口が最初に被災地に入ったのは、19日土曜である。妻が子ども2人を連れて実家のある関西へ帰ったことが安心を生み、野口のスイッチをもう一つ入れていた。生川が手配をし、集めてくれた機材を持って、花巻空港からタクシーで岩手の沿岸部を回る。最終的に野口は、青森県八戸市から千葉県の九十九里海岸までを回ることになる。

 県庁へ足を運んでも、なかなか話ができない。おのずと、市町村を訪ねることになる。

 体育館に山積みにされた支援物資を見ると、これをシステムで管理できたらどれだけ効率化するだろうとは思う。しかし、実際に仕分けの作業をしている人が、そのシステムを使いたいと思わなければ、使ってもらうことはできない。

 競合他社の中には、被災地の自治体などを対象にクラウドを3カ月間または半年間、無償で提供すると表明したところがある。富士通もそこに名を連ねている。

 だが、用意したものを使ってもらうのを待っていてはダメだ。被災した現場には、そういったものの存在を自ら調べ、導入を検討する余裕などない。

 すでに野口の考えたシステムはできあがっていたが、それを「使ってください」とは言わない。「富士通にできることがあれば、全力で支援します」とだけ言って、千差万別のニーズを汲(く)み上げる。