「先生、ニーハオ、初めまして」
がっしりした太い手で私の手を握られた。握手というより武道の試合でもしているかのような強い握り様だった。

 「是非、会ってほしい」とメールで何度も何度もラブコールをもらい「飛行機代も宿泊代も支払うから是非、北京の自分の工場に来て欲しい」とまで言われてしまっては仕方がない。それではと先日、北京の出張のついでに恐る恐る会ってみることにしたのである。

 この御仁は、32歳の若き工場経営者の劉博文さん(仮名)。北京郊外で機械商社と機械メーカーを立ち上げた。従業員は20名。設立わずか3年の会社であるが、すでに数億円の年商がある。

 32歳と言えば、80后(バーリンフォー:1980年代生まれ)。この世代は、中国では「一人っ子政策」で大事に育てられ、そのため苦労を知らずワガママな人が多いと言われる世代である。しかし、劉さんは、いわゆる80后とは違う珍しいタイプかも知れない。

 「日本に行って姿三四郎になる」とばかりに、10年前に来日。新聞配達や工場の作業員をしながら昼間は大学に通う苦学生として過ごす。さらには柔道の稽古である。

 この勤勉さと精神力が認められ、大学卒業後は日本の大手商社に就職が内定する。ところがその直後に、父親が倒れて本人は帰国することになる。このあたりは、家族を大切にする中国人らしい。まさしく「家族第一主義」なのである。

 それでも日本で働くことをあきらめきれない劉さんは、中国にある日系機械メーカーに就職した。営業をしながら、機械のことを徹底的に勉強したのである。

 最近、中国では人件費が暴騰、中国でモノづくりをするにも工場の「自動化」は避けられない状況となった。しかし、中国で品質の高い機械メーカーは不足している。だから日本の自動化機械が脚光を浴びているのだ。

 劉さんは、「今しかない」と30歳で独立を決意する。「自動化」のための日本製の機械を扱う商社と機械メーカーを同時に立ち上げたのだ。「中国のビジネスマンはいつも『独立』を夢見ています。ですから私も独立しました。50歳になっても人の会社で働いている人は力のない人です」と彼は言う。

 彼の工場には、日本製の自動化ロボットと縦型旋盤、横型旋盤が並んでいる。工程のコアの部分には日本製の機械を使い、周辺の設備は自社で開発しているという。

 彼の機械に対する知識に私は感服した。「日本の技術や製品についてよく勉強していますね」と私が言うと、思わぬ答えが返ってきた。

 「いえ、中国で営業をしながら最も勉強したのは中国市場についてです。もし、私がそのまま日本に居て日本の中で仕事をしていたら中国の市場、顧客の考え方をここまで理解できなかったと思います。実は、中国の市場の特性について理解していない中国人も案外多いんです。中国で働いていても、仕事をどんどん変える一貫性のない中国人は、市場や顧客のニーズについて本当は分かっていない。そんな人をパートナーにしたら大変ですね」
 確かに劉さんは、一貫して機械の分野で働いている。

 「先生、今、中国での商売で一番難しい事はなんだか分かりますか?」
 不意な質問に私は答えに戸惑った。
 彼曰く、「実は『代金回収』なんです」。
 「中国人は損をするのが大嫌い。だから、あの手この手と契約書を取り交わしてからも色々値切ってきます。分割払いになった場合、最後の金額を支払わない企業も多いんです。担当者はいくら値切ったかも成績の一つにされる場合もあるので」

 日本人の中国での商売の難しさに『代金回収の問題』があることは、以前も取り上げた。しかし、中国人にとってもこの問題は頭が痛いらしい。

 やおら劉さんが、中国での回収についてテクニックを披露してくれた。
 「まず、回収の基本は原価を回収すること。利益分の回収は二の次です。相手は最後に2割引を要求してきますから、利益がとりたければ最初から2割分上乗せしておきます。これで双方適正価格になります。最後の回収分はないものと考えて見積もりを設定した方がいいでしょう。最後に、リベートの問題。キックバックは大体価格の5~10%。その分を更に上乗せしておきます」

 このリベートに日本の商社は耐えられないので、日本企業は苦戦しているのだという。「これも我々現地企業の役割です。日本ができないことを我々がやって日本の機械をきっちり売り込むのです」と、なんとも頼もしい。

 その、日本の商社について、劉さんはこう言う。
 「日本の商社は最近、一生懸命に日本のモノを売らなくなったと思います。私はずっと日本の商社と付き合ってきたから感じるのです。多分、今の商社は資源やエネルギー開発がメインの仕事になっているからではないでしょうか」

 仕事ができる中国のビジネスマンは食事の席ではよく『気が利く』。ビールを注ぎ、皿を変え、足りなくなったお茶や水をすぐに注文してくれる。本当に『気配り』がいいのだ。

 白酒(バイジュ)が用意されていたが、酒の瓶の横に軍のマークである星印がついている。これは、彼がどこからか買って持ち込んだ最高級品だ。今、中国では白酒の値上がりが激しく、普通のタイプでも一本3万円はする。この高級品だと、おそらく10万円は下らないのではないか。『文革』以前に製造された白酒の中には30万円以上する代物もある。軍だけが保有を許されてきたのだ。製造された年代を知れば大体の金額は分かる。これも彼の私への最大の気遣いだ。

 食事も進みいよいよ、用意してくれた白酒でほろ酔い気分になったころ、力強く彼は言った。
 「先生は33歳で独立されました。その後、創業された会社を37歳で上場させました。だからどうしても会いたかったのです。私は先生よりももっと大きな会社を創ります。必ず上場します」

 いやはや驚いた。私のことを色々調べているばかりではなく、初対面の人間にも堂々と発言する。そのパワーに圧倒されながら、私は改めて感じた。これが、沸騰する今の中国を支えるベンチャースピリットなのであると。

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山田 太郎(やまだ・たろう)
株式会社ユアロップ 代表取締役社長
1967年生まれ。慶応義塾大学 経済学部経済学科卒。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)などを経て、2000年にネクステック株式会社(2005年に東証マザース上場)設立、200以上の企業の業務改革やIT導入プロジェクトを指揮する。2011年株式会社ユアロップの代表取締役に就任、日本の技術系企業の海外進出を支援するサービスを展開。日中間を往復する傍ら清華大学や北京航空航天大学、東京大学、早稲田大学で教鞭をとる。本記事を連載している、中国のビジネスの今を伝えるメールマガジン『ChiBiz Inside』(発行:日経BPコンサルティング)では編集長を務める。