毎週金曜日、多くの人々が首相官邸を取り囲んで、「再稼働反対!」と叫んでいる。50年前の「60年安保闘争」では、組合、学生運動などの党派とともに市民がデモに参加して大運動に発展した。それに対し、今回のデモは、組合、党派ではなく市民中心の運動だ。実に半世紀ぶりの市民による公共圏の危機への大規模な意思表示という意味では、特筆に値する社会現象である。

東京農工大学大学院産業技術専攻 教授
松下博宣

 このコラムでは2011年5月時点の「第22講:原発過酷事故、その『失敗の本質』を問う」で、原発シンジゲートの組織間関係に注目して原発問題の本質の一端を洗い出してみた。そして、「第24講:体制変革運動『Occupy Wall Street』とソーシャルメディア」では、チュニジア、エジプトから大西洋をまたいで、米国でもソーシャルメディアが体制変革運動を伝搬、創発させてきた姿を描写した。

 そして日本。今年3月29日以降、首相官邸前で市民が原発の再稼働反対を訴えるデモを繰り返し実施しており、その勢力を拡大している。6月29日のデモは14回目を数えた。そこで今回は、この1カ月間で急速に大規模化している首相官邸前デモを取り上げてみたい。

 結論から言うと、アラブの春、ウォール街占拠運動(Occupy Wall Street運動)、そして現在進行中の官邸前デモに通底するものは、「市民による反抗の意思表示の大規模な運動」であるということだ。そして、そこにはソーシャルメディアを活用する市民の姿がある。

稚拙すぎる合意形成プロセス

 ちなみに、本件について筆者の立場を明らかにしておいたい。筆者が重視するのは合意形成である。合意とは、人々がコミュニケーションを媒介にして命題を相互承認している状態である。合意形成とは、その状態に至るまでのコミュケーションのプロセスである。

 今回の一件にあてはめて言えば、「関西電力大飯原子力発電所の再稼働」という命題に対して、安全の規準、リスクマネジメントの規準について相互承認が不十分な状態のまま、初めに結論ありきの稚拙なコミュニケーションが先行し、「再稼働する」という決定がなされてしまった。結果として市民を含めた利害関係者の相互承認が欠落する状態になってしまったのだ。

 これは問題である。

 本稿は、その合意形成プロセスの稚拙さに異を唱えるものである。合意形成プロセスは、民主主義の根幹を成すものなので、賛成・反対の価値判断にも勝って重要なものなのである。まずこの点を押さえておきたい。

 6月29日、金曜日の夕刻、「再稼働反対!」と叫んで大飯原子力発電所の再稼働に反対する人々が首相官邸を取り囲んで口々にシュプレヒコールを叫んだ。

 当日デモに参加した人々の人数については諸説ある。20万人(主催者発表)、20万人(TBS)、15万~18万人(朝日新聞)、15万人(東洋経済オンライン)、2万人弱(産経新聞)、前回を超えた人数(NHK)、推定10万人以上(ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版)、数万人(ニューヨークタイムズ英語版)。ちなみに警視庁は人数を発表していない。

 いずれにせよ、これほど多くの人々が首都の中枢、首相官邸を取り囲んだことは、60年安保闘争以来なかった一大社会的事象である。60年安保以来、今日に至るまで、デモと言えば労働組合、学生の新左翼運動、それらの脈絡を継ぐ人達が中心で、広範な市民の参加は見られていない。

 政治学者、思想史家の丸山眞男は、デモは直接民主主義を体現する行動とみなした。しかし、デモを熱心に推進してきた二つの社会的勢力、つまり労働組合と新左翼系学生活動グループは凋落しており、長らく、市民が大規模なデモの表舞台に出ることはなかった。したがって、丸山の見方に立てば、今回の一連の官邸前デモは、「市民による直接民主主義的行動」となる。