米P&Gには「CMK」と呼ばれる部署がある。CMKとはコンシューマー・アンド・マーケット・ナレッジの略で、消費者や市場に関する観察を重ね、そこから得られた結果を新商品開発や営業、マーケティングに反映する役割を担う。調査手法としては統計解析などの「量的調査」だけでなく、「質的調査」を重視する。トレーニングを受けて観察眼を磨いたCMKの担当者が消費者の言葉の裏側に隠れた本音を本人の表情から見抜いて、商品に反映していく。

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 CMKは文系・理系を問わず、様々なバックグラウンドを持った人材を採用し、日本だけでも数十人の担当者がいる模様だ。入社から数年かけて統計学や認知心理学、インタビュー手法、エスノグラフィーといった専門技術を習得する。

 P&Gジャパン(神戸市)のCMK/消費者・市場戦略本部の米田恵美子アソシエートディレクターは「客観的な調査を実施するには、訓練を受けた人の観察眼が必須になる」と語る。観察専門のエキスパート集団を組織内に自前で抱える企業はかなり珍しいといえる。

 CMKはいわば消費者の本音を代弁する部署なので、P&Gジャパンの桐山一憲代表取締役社長でも、CMKに反論できない。「押しの強い桐山社長がCMKには『消費者はどう思っているのか』としきりに意見を聞いてくる」と米田氏は笑う。

 実施する消費者調査は量的と質的を併用するのが原則だが、質的調査の中では特に「インコンテキスト・リサーチ」と呼ぶ観察手法を重視する。インコンテキストとは「言葉(文脈)の中に入り込む」という意味である。消費者モニターへの単なるアンケートやインタビューではなく、実地に近い環境を再現して消費者の顔色や行動を観察する。

 例えばモニターに商品を使ってもらったり、店頭で手に取ってもらったりする場を用意し、表情の変化や動きを観察。そのうえで言葉には表れない本音を、その場の質問で巧みに引き出す。P&Gの商品が並ぶ小売店では自由に調査ができないので、インコンテキスト・リサーチ専用の「模擬店舗」を用意しているほどだ。

 とはいえ、どれだけ現実に近い状況を作り出しても現実そのものではないので、観察には限界や制約が必ず出てくる。「モニターは本音を言わないかもしれないし、“錯覚”にとらわれて発言するかもしれない」(米田氏)。そのため、CMK担当者には消費者の本音を見抜く観察眼が求められる。

モニターの顔の引きつりを見逃さず

 具体的な観察として、米田氏が最も印象に残っている案件と話す柔軟剤「レノア」の例を見てみよう()。2004年に発売したレノアは今でこそ国内シェアの30%以上を握る人気ブランドに育っているが、それ以前に販売していた柔軟剤「バウンス」のシェアは数%と低迷。量的調査によれば、競合他社の柔軟剤も販売数が落ち込んでおり、市場自体が縮小しかねないあしき状況にあった。

図●P&GジャパンのCMK/消費者・市場戦略本部が柔軟剤「レノア」の発売前に実施した主婦の観察
図●P&GジャパンのCMK/消費者・市場戦略本部が柔軟剤「レノア」の発売前に実施した主婦の観察
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 CMKは質的調査の一環として主婦モニターにインタビューを実施したが、「なぜ柔軟剤を使うのをやめたのか?」と尋ねても、「自分でも理由が分からない」といった反応が返ってきた。社内からは「将来性の無い柔軟剤市場から早く撤退すべきではないか」という意見まで出始めた。

 同じ頃、防臭スプレー「ファブリーズ」の商品化に成功していたP&Gの研究開発部門が、防臭成分を洗濯溶剤に組み込む新技術を生み出した。そこで米田氏は、柔軟剤に防臭という新たな機能を取り入れることを思いついた。

 そこで米田氏が司会を務め、数人の主婦にレノアの試作品を見せてグループインタビューを実施した。質問はごく普通で「柔軟剤に何を付け加えたらうれしいか?」という聞き方をした。

 大事なのはここからだ。実は米田氏は質問に対するモニターの回答そのものより、言葉以外の反応に注目していた。観察眼はモニターの表情やしぐさに向けられている。米田氏は主婦たちが防臭機能を見た途端に反応し、「目を輝かせているのを観察できたので重要性を確信した」と明かす。

 とはいえ、「私だけが重要だと感じただけでは組織は動かない。だから他部門の担当者にもインタビュー中の主婦を映したビデオを見てもらう」。モニターの表情を複数の目で確認し、客観性を保つ。間違っても、インタビューの議事録だけを回して了解を得ようとはしない。

 レノアの時は、商品パッケージのデザイナーにもビデオを見せた。デザイナーも主婦が防臭機能に反応していることを実感するとともに、薄めの色合いに防臭やさわやかなイメージを重ねていると判断した。そこで柔軟剤でありながら防臭機能を訴求することを狙った、透明度の高い容器を試作。米田氏は「これはいける」と喜んだ。

 ところがモニターの反応は違った。試作品を既存品の中に混ぜて並べた模擬店舗に来てもらうと、「一部のモニターの表情が引きつっていた」。米田氏はその瞬間を観察で見逃さず、すぐに理由を尋ねた。すると「汚れた水を詰めてあるみたいだ」という思いも寄らぬ本音が出た。

 米田氏はデザイナーに作り直しを求めた。自信作を否定されたデザイナーは落胆したが、消費者の声は無視できない。透明感を少し抑えるなど、パッケージを作り直した。そして発売したのが、現在のちょっと青みがかって見える商品である。「もしも“汚水”を世に出してしまっていたら、当社の柔軟剤は市場から消えていたかもしれない」と米田氏は振り返る。発売前の観察で命拾いしたのである。