村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2012年4月3日(平成23年度第4回夕張市医療保健対策協議会)

 3月28日水曜日に夕張市医療保健対策協議会の4回目の会合が開かれました。今回はいつもと違って拡大会議となりました。医療従事者や保健福祉教育関係者、議会、市役所などから選ばれた委員会議で話し合われた内容を、市民や患者代表にも公表して意見を求めるといったものでした。

 委員会議で話し合われた内容は
(1)人口の推移等に関わる現状と論点
(2)医療の現状と論点・課題
(3)救急の現状と論点・課題
(4)検診の現状と論点・課題
(5)介護の現状と論点・課題
といったもので、事前に各種の資料や委員会議での内容が配布されて、会議では各町内会長や患者代表といった市民代表に周知して、それに対する意見などを聞く会になりました。

 普通この手の会議をやると、どこの地域でも共通していることですが、皆さん検診や介護には関心が低く、病院の建築や救急に熱心なことが多いと思います。いくら救急を充実させても、平均寿命が延びて死亡率が下がることなどないのに、盛んにそのことを訴えて、もっともらしい意見が蔓延(まんえん)するのですが、要するに自分達は何もしないで税金を使っての「お任せ」なのだと思います。

 しかし、今回の参加者の皆さんは、前向きで現状を冷静に分析する人が多くて驚きました。「情報をいかに多くに伝えていくべきか」といった提案が何件か出されていました。何より批判中心の被害者意識の意見はほとんどなくて、何とか現状を把握して住民に伝えようとする意志が感じられました。少々残念なのは、首長の鈴木さんが出席していなかったことです。「皆さんの意見を聞いてやっていく」と選挙の時に言っていたのですから、次回は期待したいと思います。

 今回の会議でも出ていたのですが、病院の新築・建て替え問題というのは他の地域でも住民やマスコミも盛んに騒ぎ立てます。本当にこれがそんなに問題なのでしょうか。医師も来ない、赤字を垂れ流し自治体の破綻の原因にさえなりかねない立派な建物が、本当に命に関わるのでしょうか。

 これは明らかに“ハコモノ信仰”です。建物を建てたら医師が来て看護師が集まり、医療が充実して皆が安心するというのは幻想だと思います。なぜなら、しょせんは「以前はあったから」という理由だけで、病院という名の公共工事に税金を使ったお任せにすぎないからです。

 大切なことは「地域に本当に必要な医療を考えて、それを自分達で支えること」だと思います。そんなに必要なら公共工事を止めて、公務員を削減して、フィンランドのように他を我慢してでも自治体の予算の半分を社会保障につぎ込んでやるべきだと思います。立派なハコモノを作って医師も集まらず、借金だけ次の世代に丸投げにして、誰かのせいにして文句を言っているのは本当に無責任な話です。

 私は以前、無責任な某新聞の記者に「あなたは病院の新築問題はどう考えているのですか」と聞かれたことがあります。「それを考えるのは夕張市や市民ですので私は知りません」と答えました。そうすると「無責任だ」とか言いましたが、「無責任なのは問題を私達に押し付けて、何か不具合があると批判だけするあなた達だ!」と言いました。他人にお任せにするようなものは、本当は必要のないものです。相応の負担もしないで安心や安全を確保しようとするから、破綻しているように思えます。

 さて、今回新しい出来事がありました。夕張希望の杜を立ち上げて5年たちますが、有床診療所と老人保健施設、通所リハビリ以外にもすでに隣町に訪問診療専門の診療所と、市内に訪問看護ステーションを立ち上げて連携しています。

 今回新たに24時間体制の訪問介護ステーションを開業しました。おそらく4月からの開業は北海道では唯一ではないかと思います。このことに関しては、前例のないことに保健福祉課の職員の方が頑張ってくれたので、感謝しています。今までの市役所ではあり得ないことたと思います。

 健診や住み慣れた自宅での生活支援が充実することは、高齢化した地域では救急よりもはるかに大切です。これに他のグループホームや特別養護老人ホームなどの施設と連携することで、幅広いニースに対応できて、地元での雇用につながると思っています。

 「地域で働くところがない」と苦情を言う人がいますが、それでは仕事は国や行政が準備するということでしょうか。少なくとも日本は社会主義の国ではなかったはずです。地元に愛着があり、何とかしたいのであれば、リスクを負って自分で起業すべきです。お任せで雇用も医療も教育も準備してもらうのが権利などという贅沢(ぜいたく)を言い続けているから、1000兆円を超える借金を抱えているのではないでしょうか。

 誰かが起業しない限り雇用は増えないし、町の税収は増えるわけがありません。あくまでも行政の役割はその支援であって、どこかの町のようにそういった起業活動を邪魔しているようでは再生などあり得ません。いい加減にお任せの悪平等はやめて、自分達の町は住民自身が汗をかいてでも支えるようになったらいいですね。

 それと、今回是非紹介したいブログがあります。私達の仲間でもある樋端佑樹(といばな・ゆうき)先生が、私の本「支える医療へ」を読んで、感想を書いて下さっています(ブログはこちら)。私達は運営していく中で、悩んだ時に、いつも若月俊一先生の本を読み返して頑張ってきました。そんなことに触れて下さっていて、久し振りに元気を頂きました。本当に感謝します。

 今週は、京都で講演がある予定です。また詳しく解りましたら、ツイッターやフェイスブック、ホームページなどでお知らせしたいと思います。

2012年4月9日(平成24年 新年度に向けて)

 夕張医療センターも指定管理の契約10年の折り返し、6年目に入りました。1年目は「立ち上げ」、2年目は「お祭り」、3年目は「停滞」、4年目は「飛躍」、そして5年目は積み重ねたノウハウを広げていく「拡大」だったと思います。そして6年目はいよいよ「自立」のためのシステム創りになるように思えます。

 新年度で変わったことをいくつか挙げたいと思います。

(1)病棟と老健の合体
 夕張医療センターは1階が40床の老人保健施設、2階が19床の病棟でしたが、在宅が100軒を超えてくると、病棟は緊急時のバックベッドとして使うため、あまり使わなくなり(在宅や施設でほとんどの治療ができるため)収入的にもかなり赤字でした。そこで、病床をそのままにして、1階の空いた部屋を病床として使うことで、看護師や介護を1カ所に集約してしまいました。そうすることでケアとキュアの境をなくしてお互いに学べる場となるし、人件費も減らせますし、利用者の方の移動も楽になります。

(2)給与体制の見直し
 立ち上げのドサクサで、給与体系がかなり歪(ひずみ)になっていて、頑張った人が報われないようになっていました。そこで高校の同級生で、岩見沢で社労士をやっている片山さんに協力してもらい、若い人に給与を手厚くして、50歳を超えると給与が下がっていくようにしました。基本給を安くして、その分手当て、資格給その他の比重を厚くして、あえて差が出るようにしました。皆横並びの悪しき平等をなくして、頑張って夜勤をしたり、学会発表したり、新たな資格を取ることを評価していくつもりです。

 ここは定年がないので死ぬまで働けますし、50歳を超えた方でも頑張って夜勤をしたり、独立して起業したり、資格を取ったり、役職手当て、リーダー手当てが付くように頑張れば、収入を維持できるようにしました。ただ長くいて、何もしなくても給与が上がっていく公務員方式は、医療機関には向いていないので全面的に廃止にしました。もともと人件費率が高かったので、これを契機に辞めていく人達の人件費をシェアすることで、ほとんどの介護の人達の給与を上げることができました。

 以前の給与体系では、誰も知らないところで特定の人達ばかり優遇される不平等なものでしたが、かなり透明性が増したと思いますし、分かりやすくなり、毎週実施される理事会で努力にすぐに対応できるようになっています。

(3)新たな職場と自立
 永森先生が在宅専門の診療所を隣町の栗山町の継立という所で立ち上げて、今後、橋本先生も近隣で診療所を立ち上げる予定です。すでに町内には24時間対応の訪問看護ステーションが立ち上がり、許可された24時間体制の訪問介護ステーションも運営を開始します。

 破綻した町の再生というのは、このような新たな起業で税収や雇用を増やすことであり、市や道、国が仕事を準備してくれないという文句を言っているのは社会主義国家です。むしろ行政はこのような試みに対してバックアップすべき立場です。

 その意味では以前のような足を引っ張る首長さんや総務課長がいなくなって本当に助かっています。夕張の再生を一番妨害していたのは、破綻の責任を取らないで居座っている一部の公務員でしたので、今後も注意深く納税者として監視して、無駄遣いをしないように注意していきたいと思っています。

(4)新たな仲間
 医師は4月から京大出身で東大の麻酔科に勤務していた佐村先生がデビューしました。6月からはさらに2名の医師が増えます。それに伴って夕張以外の空知地区の支える医療の輪を広げていく拠点創りに力を入れていくつもりです。医療過疎の地域や被災地への支援も今まで通りにできる限り続けていきたいと思います。

(5)電子カルテの導入とマルチスキル化
 多職種連携やマルチスキル化を進めて、縦割りの勤務体制を解消しました。例えば以前であれば事務員は事務だけでしたが、検査や歯科の助手、介護助手といったこともやってもらい、当直もお願いしてその分給与に反映させるようにしました。

 電子カルテを導入したことで事務仕事を減らして、その分利用者のサービス向上に回すことができます。特定の仕事にこだわり、権利を主張する人達よりも、むしろその技術や知識をシェアしていくことを評価していくつもりです。

 今回の診療報酬の改正は、私達にとっては非常にやりやすくなっています。高齢化社会でケアを重視して、地域包括的に多職種連携でこれを支えていく、というのは最初から取り組んでいたので、今後は地元出身の人材を育てて、その人達が自立していくことを支援していきたいと思います。

 従来のハコモノ行政も結構ですが、こんなことに無駄な税金を使うのでしたら、高齢者を支えていくべき人達が納税するのが馬鹿らしくなって出て行くだけだと思います。住民の同意だとか話し合いという名の無駄遣いの言いわけも聞きあきました。現状の集まりの構造のひどさを認識すれば十分だと思えます。

 長くなりましたが、このような方法論はここを始めた時から決めていたことですから、迷わずに進めていくつもりです。日本一高齢化が進んだ市では、のんびり議論している時間などありません。間違いは一度までにしておきたいものです。

 私の予定ですが、6月は全ての週末に講演が入っている様子です。また新たな出会いや再会に期待して準備を進めたいと思います。

2012年4月16日(京都での再会)

 4月7日に京都国際ホテル(写真)で「京都地域連携をすすめる会」が開催されて、私は「夕張での支える医療の実践」という演題で講演をさせていただきました(写真)。200名近い方が参加して下さいました。医師、歯科医師、薬剤師、看護師、介護士、理学療法士など、本当に多職種の皆さんが参加して下さり感謝です。

 夕張から京都へは、新千歳空港から飛行機(写真)で関西空港へ飛び、そこから約1時間「はるか」(写真)に乗って京都駅に着き、そこから地下鉄で二条城前に向かいました。京都へ行くのは本当に久しぶりで、学会か何かで数年前に行った記憶はありますが、京都駅が新しくなっていたのでその前の話だと思います(写真)。

 前日の4月6日の夜は夕張では氷点下6度でふぶいていましたが、京都は晴天で桜が満開の状態でした(写真)。京都国際ホテルは二条城のすぐ近くにあり、少し時間があったので散策できました(写真)。

 さて、私にとって京都といいますと、宇都宮宏子さんの名前が浮かびます。元京都大学医学部付属病院 地域ネットワーク医学部看護部長で、退院支援や退院調整といった入院した患者さんが地域や自宅にスムーズに帰れるように尽力していた方です。看護職の間では知らない人はいないくらい有名です。数年前に知り合う機会があり、夕張で全くゼロだった訪問看護や在宅医療を展開していく中で、励ましてくれていた方です。そんな宇都宮さんも講演に来て下さいました。

 講演後の懇親会では、生まれて初めて舞妓さんや芸妓さんにお会いすることもできて、本当に勉強になりました。歴史や伝統といった、北海道で考えられないことがたくさんありました。例えば京都で古い家・店といったものは300年~600年といった単位で、100年というと新しいと表現されていたりします。

 歴史のある町なので、地域や在宅といったことに北海道と違うこだわりがあると思っていたら、意外に大病院志向があり、「何かあったら大きな病院へ」といった人が多いというのを聞いて驚きました。しかし多職種連携は案外進んでいて、懇親会にも医師会の方以外に歯科医師会、薬剤師会、看護協会の方など皆さんが参加していたのは羨ましく思えます。少なくとも夕張ではそのような席はあり得ないことです。今後も住民の皆さんが社会資源や医療資源を大切に使って、連携を大切に使ってもらいたいと思いました。

 さて、2次会があり、そこには佐久総合病院の北澤先生が来て下さいました(写真)。この方もかなり有名な方ですが、北澤先生は京都出身で、偶然ですが北澤先生の昔の同級生の宴会に参加させていただきました。地元の方の案内がなければ、なかなか行けない場所へ連れて行っていただきました。関係者の皆様に感謝いたします。

 夕張医療センターでもうれしいことがありました。24時間体制の介護看護ステーションの正式な開設許可が出ました。おそらく北海道では第1号となります。頑張ってくれた福祉課の木村係長さんはすごいと思います(ブログ)。そして夕張希望の杜グループゆに訪問クリニックの開設許可も出て、仲間が増えて連携が広がっています。

 4月10日にはヨーロッパで有名な雑誌「デア・シュピーゲル」誌の取材を受けました。取材に来たのは中国に住むドイツ人の方で、本当に日本語が上手でした。事前にほとんどの資料に目を通していて、夕張での活動をご存知でした。森田先生の日経新聞の記事も読んでいて、彼の経歴まで知っていました。さすがに世界一流のジャーナリストは違います。

 それに比べて北海道のジャーナリズムというのは、市役所の市長や総務課長の意見を一方的に書き立てて、相手の取材もしないで批判して、結果に責任も取らない状態でしたから比較するのも失礼な話ですが、この差が北海道の問題の多くを助長しています。取材の中で「住民のニーズ」の話になりましたが、「何でもかんでも人任せ」「してもらうのが権利で自分さえよければいい」などという悪しき平等がニーズではないことは明らかです。

 夕張医療センターの運営も必ずしもすべてが順調とは言えません。しかし、常に先々のことを考えて、目の前の利益を追わないように、公を目指していきたいと思います。新しい仲間たちが活躍できるように、私ももう少し頑張りたいと思います。