経営者に経営戦略で一番大切なことは何かと問えば、その答えの筆頭が「選択と集中」だろう。業績が悪くなった企業を建て直すとき、多くのケースで選択と集中が徹底して行われる。中小企業が大企業と戦う場合は、いわゆる「ランチェスター戦略」として選択と集中が用いられる。

 一方最近の日本では、「選択と集中の誤算」が経済メディアで話題になっている。その代表例がシャープやパナソニックの薄型テレビ事業に関するものだ。経営資源を集中し、一時は大きな成功を収めたものの、あっという間に韓国サムスンに追い越され、窮地に陥った。勝者のサムスンでさえ、技術革新と競争激化で利益を出しにくくなっているという。「だから選択と集中は間違いだ」という論調も増えている。

 この「選択と集中が是か非か」というテーマは、ITエンジニアにとっても他人事ではない。

 ある技術分野に特化して仕事や勉強をしたほうがよいのか、それとも幅広いジャンルの技術を浅く広くやるべきか、悩んだことがあるだろう。またベンダーのSEであれば、特定の顧客を長い期間担当するのと、多数の現場を次々と経験していくのとでどちらがよいのか、非常に難しい問題である。ITエンジニア個々の性格や資質にもよるし、案件ごとの事情もあるだろう。

 現実の経営において「選択と集中」と「分散・多角化」が繰り返されるように、物事には潮目というものがある。その潮目に気付かないと、大きな失敗になるのではないか。ベンダーX社のSE課長、Aさんの失敗を紹介しよう。

 A課長は7年前、まだ若手だった部下のBさんを、Y社の人事評価システムの開発プロジェクトにアサインした。Bさんはプロジェクトで最年少であったが、非常に優秀で熱心に仕事に取り組んだため、Y社から気に入られ、本番稼働後の維持管理メンバーにぜひ、と指名された。A課長はBさんが顧客から高く評価されたことを喜び、Y社の要望通りBさんをアサインした。

 最初の1年間は先輩SEと組んで維持管理に当たったが、2年目からはBさんが1人残って担当することになった。Y社はX社にとって上顧客であり、A課長は「適材適所で顧客満足の高い配置ができた」と自画自賛したそうだ。X社のSEは複数の顧客を担当することが多かったので、1社に特化したBさんのケースは「選択と集中だな」と周りからも注目されていたという。

 それから5年もの間、BさんはY社の担当から外れることはなかった。5年後にシステムの再構築を行うこととなった際、当然のごとくA課長はBさんをプロジェクトリーダーに任命した。ところがBさんは、5年以上同じ仕事にさすがにマンネリを感じていた。また1人で担当していたので、休暇もなかなか取れないでいた。この再構築プロジェクトを機に、本番稼働後は若手に維持管理を譲って、別の案件を担当したいと願い出た。

 そこでA課長が、新システムの維持管理はBさんから若手に交代したいとY社に打診したところ、強いクレームが来たのである。「Bさんがいてくれないと困る。Bさんが担当してくれることを前提に再構築を依頼したのだ」。これではBさんを外すことはできない。A課長がBさんに「あと1年だけ」と頼むと、Bさんから退職願が出された。

 Bさんいわく、同期入社のSEの多くはプロジェクトリーダーとして活躍している。ところが自分はずっとY社に常駐しているので新しいことは学べず、昇進も遅れている。A課長はY社の意向に逆らえないだろうから、自分が辞めるしかない。

 説得もむなしくBさんは退職し、Y社からは厳しくしかられたそうだ。以下はA課長の反省の弁。「うまくいっていると安心して、1人のSEに頼り切っているだけだった。最初はよくても、年を経て状況が変化していることを見過ごしていた。定期的に見直しを行うことの重要さを思い知った」。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、