東日本大震災により、日本国内の企業では社員の安否確認や事業継続計画に対する意識が高まっていることだろう。海外に積極的に進出している企業の場合、海外拠点の対策も意識しておく必要がある。筆者が滞在する中国では日系企業の進出の勢いが止まらず、日本人の長期滞在者が増え続けている。外務省の海外在留邦人統計によれば、上海だけで2009年10月時点で4万8255人の日本人が長期滞在している。

 外国に滞在していると、日本国内では発生率が低い事件・事故のリスクが大幅に上昇する。パスポート紛失、狂犬病、ハニートラップ、強盗、労使問題、反日感情などだ。こういった事件・事故については、外務省のウェブサイトや現地での講演会で「危ない場所に近づかない」「危険な行為をしない」などと啓発活動がされている。けれども天災は全くもって不可知。つつがない毎日に安住して、その猛威を忘れてしまいがちだ。そこで今回は上海の地震事情をお伝えしたい。

震度1でも動転する人々

 上海に住む人々に地震のことを尋ねると「上海ではほとんど起きない」と口をそろえる。事実、上海市地震局のウェブサイトの記述によれば、1949年以降、震度3レベルに達したものは2回だけだ。1回目に当たる1984年5月21日の地震は、間接的な死亡者が3人。また、各地区で建物の損壊があったという。

 2回目の1996年11月9日に発生した地震では、東方明珠テレビ塔の避雷針3本が脱落する被害があった。この2つを除けば、江蘇省沿海を中心に体感できない程度のごく軽微な地震しか起こっていない。頻繁に地震に見舞われる日本列島と比べると、安心できそうだ。

 もっとも、僅かでも揺れを感じた時の中国人たちの反応は敏感かつ強烈だ。前述の1984年の地震の際は脱出を焦った90人あまりが建物から飛び降り、30人が病院で手当てを受けた。

 2008年5月12日の四川大地震の時は、上海は震度1程度だった。高層ビルの18階にいた筆者は揺れがあったことに全く気がつかなかったが、近隣の人々は次々と周辺のビルから飛び出した。近くの公園に集まった人数は路上に溢れるくらいに膨れ上がった。

 当時の筆者は高みの見物を決め込み、「たかだか震度1程度でこんなに動転するのか」と彼らの様子を眺めていた。しかし後になって、上海の地盤や建築を考えれば確かにそう落ち着いてもいられないのだと分かった。

地下300mまで軟弱な地盤

 上海の土壌は非常に軟弱である。『上海―都市と建築1842-1949―』(村松伸著、PARCO出版局)によると、上海はもともと揚子江が運んだ沖積土からなる土地である。地層は泥層が6m、その下に砂土が90m、泥砂と砂利が混じった層が300mと続き、ようやく硬い岩層に達する。さらに上海の大動脈の幹線道路である延安路が象徴するように、少なくない道路が運河や水路を埋め立てて造られている。

 地盤の弱さの象徴とも言える存在が、上海目抜き通りをちょっと入ったところにある「錦江飯店北楼」だ。1929年に建てられた13階建てのホテルにして、上海市の近代優秀建築物だが、基礎工事の不備のために竣工当初からビル全体が沈降している。現在でも1階に当たる部分が半地下になっていることを観察できる。

 建造物の強度も日本のそれとは比べものにならないほど弱いものが目につく。アジアで1位、2位を争う高さを誇る近代的高層ビルが建つ一方、鉄筋コンクリートで作った枠の間をレンガで埋めたような構造の建物もいまだに平気で造られている。

 市内を縦横に走る高架道路の橋げたも、日本のものを見慣れた筆者の目にはものすごく細く感じる。また、内装工事を施さないまま引き渡すスケルトン仕様のマンションでは、その所有者が好き勝手に壁をぶち抜いて内装工事を施す光景がよく見られる。

 上海という街は、泥の上に巨大なコンクリート基礎の船を浮かべ、その上に作られた砂上ならぬ“泥上の楼閣”といったら言い過ぎだろうか。地震の回数や震度は微々たるものだが、万が一の時を考えると結構怖いところなのだ。