中国滞在が長期にわたり、もう干支をひと回りしてしまった筆者。時が流れるにつれ、会話中に意味が分からない“日本語”があまりにも増えてきた。日本の顧客や本社とやり取りする際にそう感じる。ここで言う“日本語”とは、外来語のことだ。

 例えば「マイルストーン」も「RFP」も、社内の打ち合わせで初めて聞かされた。その場はふむふむと聞き流したが、打ち合わせの終了後に「あれはどういう意味だったの」「私も分からない」という会話を、同席していた同じく中国在住の日本人上司とこっそり交わした。

 IT業界の読者の皆さんはご存じかもしれないが、それ以外の業界の方のために念のために説明すると、「マイルストーン」は主にプロジェクト管理で作業の進捗状況を確認する節目を指すものだ。しかし「里程標」と表現すれば済むのではないか。

 「RFP」もすぐには分からなかった。これはRequest For Proposalの略で「提案依頼書」を意味する。正しい綴りを調べ、それから日本語に翻訳しなくてはならない「アールエフピー」よりも、「提案依頼書」と言ってくれた方が分かりやすいのに。

日本と外来語の受け入れ方が違う

 経済や科学技術が全世界化するなかで、世界の共通語たる英語を中心に言葉が出来上がっていくことはやむを得ない。さらに言えば、筆者が身を置くコンサルティング業界は、何か小難しく高尚なことを話しているように見せかけるため、こうした外来語を多用しがちである。

 それにしても外来語、特に英語を音訳したものは年々理解が難しくなってきていると筆者は感じている。ちなみに日本の国立国語研究所が実施した2003年の「外来語定着度調査」によれば、「マイルストーン」という外来語の認知率は12.1%、理解率では6.6%、使用率は2.8%にとどまっていたそうだ。

 実はこうした外来語を受け入れる姿勢にも、日本と中国で明らかな違いがある。日本では単純に音訳し、カタカナで表現する傾向が強まる一方、中国は頑ななまでに「意訳主義」だ。命名する際にはローマ字、省略語を極力利用しない方針を貫く。中国語に置き換えられるものは必ず置き換えて命名している。

 特に科学技術用語については「全国科学技術名詞審査委員会」という国家組織を設置。自然科学を中心に76の部会が審査したうえで、中国語の名称を決定する。

 例えばコラーゲンは「膠原蛋白」、ブルーレイディスクは「藍光光盤」となる。このように漢字にされてみると、意味も何となく伝わってくる。

 科学分野だけでなく、固有名詞もしっかりと翻訳している。例えばビートルズは「甲殻虫楽隊」、マイクロソフトは「微軟」だ。日本からの言葉も同様で、例えばモーニング娘。は「早安少女組」となる。

 面白い例を挙げると、ライブドアは「活力門」で、中国語で読むと「フォーリーモン」となる。かつての経営者「ホリエモン」に音を似せているところがうまい。

2010年11月の通達で英単語を短縮した用語を出版物で禁止

 そんな中国も、さすがに近年は日本と同様に英語やローマ字の略語、あるいは英語そのままの表現が増えつつある。経済発展や技術革新の速さに加え、海外からの情報がほぼ同期して流入するようになったことや、インターネットの掲示板を中心とした造語の登場が背景にある。

 しかしこのような流れさえも、中国政府は押しとどめようとしている。中国新聞出版総局が「出版物における文字使用の規範化」に関する通達を2010年11月に発布し「英語の短縮表記や英単語、中国語でも外国語でもない造語を出版物に使用してはならない」とした。

 このような規制は中国ならではの措置といえる。思想や表現の自由が保障されている日本では考えられないが、頭が固くなりつつある中年真っ盛りの筆者は、日本でも外来語のカタカナ化をある程度に抑えてほしいとつい思ってしまうところでもある。

 ともあれ、外来語に対する日中の姿勢の違いはどこから生じるのだろうか。中国は多民族・多言語国家であり、教育水準の差も激しいことから、共通語としての中国語使用の標準化を推進してきたという面はある。ただし、それだけではなさそうだ。

 というのは、上記の通達には「漢字言語文字の規範性と純潔性の深刻な損害」という表現があるからだ。漢字文化に対する自尊心と、外来語の「侵入」に対する拒否反応が見て取れる。

 もっとも報道によると、WTO(世界貿易機関)、GDP(国内総生産)、CPI(消費者物価指数)といった単語は禁止の対象にならないとされている。既に「人口に膾炙(かいしゃ)された」からだそうだ。

 これに対し、ネット上の若者を中心に「なぜWTOやGDPが利用できて、NBA(米プロバスケットボール協会)やDVD、MP3は禁止されるのか」と批判の声が上がっている。規制の対象外とされたWTOやGDPといった単語ももともとはなじみがなく、月日を経て一般にも理解されるようになったものだ。そのような単語が許される一方、今後、認知度が高まるであろう最近の外来語が禁じられるのはおかしい、との批判である。

 あくまでも外来語の現地化にこだわり、漢字の国の威信をかけて守り抜くのか、押し寄せる世界の波に「翻訳の城壁」はいとも簡単に崩れてしまうか。禁止のお達しが出たとはいえ、一筋縄ではいかなそうな気配。両者の押し合いへし合いが当分続きそうだ。


佐々木 清美(ささき きよみ)
 1969年生まれ。北海道大学経済研究科修士課程修了。卒業論文のテーマは「近代上海の下層労働力」。「文字化されない『老百姓(一般市民)』の生活ウォッチ」を続ける。
 日本総合研究所の中国法人である日綜(上海)投資コンサルティング有限公司などを経て、2012年2月から拓知管理諮詢(上海)有限公司のコンサルタント。