文部科学省が2010年3月に発表した調査結果によれば、同年の日本の大学卒業予定者の就職内定率は前年同期を6.3ポイントも下回る80%(内訳は男子80.1%、女子79.9%。2010年2月1日時点)にとどまっている。短大生はもっと厳しく、前年同期より8.5ポイントも低い67.3%だった。就職浪人が多数出ることは避けられそうにない。

 一方、日本総合研究所の研究では、日本人の国外流出数は2007年10月から2008年9月の1年間で10万人を超えた。特に20歳から49歳までの若い世代の出国超過数が伸びている。

 日本で数カ月稼いだ後、物価水準が低いタイなど東南アジアの国に移り住む人もいるようだ。海外で観光もせず安宿で日がな1日引きこもるので、こうした人たちは「外こもり」と言われている。

 ただし、タイなどとは違って中国ではビザ取得・長期滞在が難しい。就業ビザが下りるには、2年以上の勤務経験が必要というルールが「原則として」あり、特に上海のチェックは厳しい。現地の大学で4年間学んだ外国人留学生であってもいったん中国の外で働かなければならない。

中国も若い世代の流出先に

 しかし「原則として」と書いたのには訳がある。実際には少なからぬ規模で新卒者が雇われ始めているという。そんなわけで、中国も若年労働者層の流出先の1つになりつつある。

 日本人を活発に募集している一例として、時給20元(およそ280円)でのオペレーター業務の求人がある。日本からの問い合わせに答える業務が中心だ。

 ある中国転職サイトの担当者に聞いたところでは、基本給は3200元(日本円で約4万5000円)で、残業代や各種補助を合わせると最終的には月に5000(7万円)~6000元(8万4000円)になるという。業務は日本語で行うため、中国語の能力は要求されず、会社から中国語研修を提供してもらえる。あるオペレーター企業の大連の拠点では50人前後、北京では10~20人の日本人が働いているという。

 このような企業が日本国内で採用してもらえない日本人の受け皿として機能している。もっとも、すぐに辞めてしまいそうなタイプは中国でも避けられているようだ。まじめに長く働いてくれる人材を確保するため入社試験に手間暇をかけていることが多いともいわれている。

 また、いくら現地の物価水準が低いとはいえ、衣食住は確保できても、さほど楽な生活はできないだろう。基本は1年契約で、給与水準は日本の新卒の3分の1前後。

 当然、日本国内で受けられるような社会保障は無く、退職金は出たとしても微々たるものだ。病気・けがなどの通院は海外傷害保険で賄えるが、慢性病や虫歯治療には適用されない。

背景にあるのは日本社会への不満

 それでも、前述した企業の中国拠点は、タイ拠点に引けを取らない(タイでは日本人枠が満杯)人気ぶりなのだという。確かに上海にいて、日本の雇用事情を耳にしていると、若者が日本を出てくるのもむべなるかなと思える面もある。

 こちらにいて聞こえてくる日本の労務キーワードは「雇い止め」「サービス残業」「給与減少」「過労」「うつ病」など、明るい未来のイメージとかけ離れたものばかりだからだ。その点中国は、2008年の金融危機の暗雲をなんとか抜け出して生産は回復しつつあり、消費は相変わらず活発だ。そして2009年のGDP(国内総生産)成長率は8.7%を記録した。

 つい先日、上海に長く滞在中の日本人と、まさに「若者の中国就労」の話題でひとしきり盛り上がった。将来のキャリアになるのか、年金はどうするのか、はたまた“大陸浪人”になりはしないか――。そうした不安はもちろん抱えている。

 それでも、働けど明るい未来が見えてこない日本にいるより、取りあえず夢は見させてくれる中国にいたいのだという。ここで景気が回復し、そして自分の居場所ができるのを待っていたいと話していた。

 筆者はこうした動向を決して好ましく思っているわけではない。海外で実現させる大きな夢を意味してきた「○○ドリーム」という言葉の意味が、「ひとときの夢」、ただの現実逃避へと変質してはいないか、気にかかる。

 「日本人が海外に“出稼ぎ”する時代になったのか」と嘆いてばかりはいられない。日本企業の方々にも、この問題を考えてみていただきたいと思う。

佐々木 清美(ささき きよみ)
 1969年生まれ。北海道大学経済研究科修士課程修了。卒業論文のテーマは「近代上海の下層労働力」。「文字化されない『老百姓(一般市民)』の生活ウォッチ」を続ける。
 日本総合研究所の中国法人である日綜(上海)投資コンサルティング有限公司などを経て、2012年2月から拓知管理諮詢(上海)有限公司のコンサルタント。