村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2012年3月5日(健康づくりシンポジウム)

 2月25日に札幌駅北口にあるエルプラザという所で、全国健康保険協会北海道支部の主催で健康づくりシンポジウムが開かれました。

 私は第1部の特別講演で「医療を守るために ~支える医療へ~」という演題で講演をさせてもらいました(写真)。第2部では健康づくりに関するパネルディスカッションが行われ、全国健康保険協会の理事の方をはじめ、北海道医療大学病院院長の辻先生や北海道栄養士会会長の山部先生など北海道を代表する皆さんが参加されていました。

 今回の講演は珍しくテンションが低くて大変でした(初めて講演を聞いた方はそう思わなかった様子ですが・・・)。前日から体調が悪く、お腹を壊していたため食事もとれない状態が続いていました。原因は不明ですが、自分の職業を考えますと情けない限りです。

 講演後にうれしい出来事がありました。瀬棚町時代の患者さんだった親子が会いに来てくれていました。瀬棚町の診療所から少し離れた今金町に住んでいた方でしたが、お子さんの方は、当時は小学生でしたが、今では大学生になっていて、すっかり立派になっていました。長く地域の仕事をしていると、こんなことが一番うれしく感じます。思わず新しく出た本をプレゼントしてしまいました。

 私はいつも講演で強調する言葉があります。「医療や福祉は目的では無く手段です!」というフレーズです。町づくりや生きがいがあってはじめて医療や福祉といったインフラが生きてくると思います。逆にそれを考えないで整備すると大体壊れてしまいます。

 医療や福祉も含めた社会保障は、安全を守るためのもので、必ずしも安心を保証するものではないと思います。マスコミも「住民の不安」と言えば思考停止していますが、不安の解消には住民自身の努力や工夫が必要ではないでしょうか。それを全て国や行政や医療者や学校に投げても無理な話です。

 そろそろ批判一辺倒から代案提示型の社会にしていきたいですね。当事者意識もなく批判だけするのは簡単ですが、代案もなくそれを続けるのは誹謗(ひぼう)・中傷のレベルになってしまいます。

 さて、この日は3月3日に行われる「北海道どさんこパンチ in 十勝」の打ち合わせもありました(フェイスブックのページ)。代表の大井さんをはじめ、いつものメンバーで話し合いをしました。この日のメンバーは公務員、アナウンサー、パン屋さん、看護師さん、歌手、写真家、テレビ局の編集者と実に様々な職種の方が集まり、正に多職種連携です。

 本来は町創りがあって、それに合わせた規模や予算で社会保障を考えていくべきものだと思います。豊かな時代であれば、前例を踏襲して、イデオロギーや権力批判をしていれば良かったのかも知れませんが、今はそんな議論よりもいかに具体的に問題を解決していくかが大切なのだと思います。

 3月3日にはテレビ出演もありスケジュールは大変ですが、何とかまた一つ年を取ってしまう3月を乗り切りたいと思います。

2012年3月12日(長い一日)

 3月3日は桃の節句、雛(ひな)祭りだけではありません。耳の日、民放ラジオの日、平和の日、女のゼネストの日、金魚の日など、たくさん肩書きがありますが、私にとっては瀬棚町でお世話になった日本の女医第1号である荻野吟子さんの誕生日です。(編者注:荻野氏については北海道瀬棚町のサイトをご覧下さい)

 今回の3月3日は清水町で「北海道どさんこパンチin十勝」が開催されました。赤平市役所のケースワーカーである大井さんの呼びかけで始まったこの会も3回目になりました。悪者捜しをする前に自分達でできることをやっていくだけの話ですが、今後も全道で開催していく予定です。

 現場の責任者である前田さんをはじめ、市役所職員の皆さんの公務員らしくない(?)情熱や行動力に感動していました。新党大地の浅野さんや清水町長の高薄さんも参加して下さり、200人くらいの皆さんとお会いすることができました。関係者の皆様に感謝いたします。

 さて、この日は午前11時に夕張を出発して、高速道路で十勝清水へ行き、3時から講演。5時半頃には車で新得駅に向かい、スーパーおおぞら12号で札幌へ行きホテルに入り、夜10時過ぎに北海道テレビ(HTB)に向かい、翌日の夜中の1時から4時まで「朝まで生討論」という番組に出演しました。

 政治家、首長さん、医師、大学教授、ジャーナリストなど、様々な分野の人達が集まり、東日本大震災から1年たった現在の問題点や北海道にできること、防災、原子力発電所など幅広い議論が展開されました(写真)。限られた時間と人数でしたので多少消化不良の面はありましたが、たくさんの出会いとヒントを頂きました。現場で案内していただいた阿部幹雄さんに感謝いたします。

 朝5時過ぎに札幌のホテルに戻り、仮眠してから昼頃の列車で夕張に戻りましたが、生放送のテレビで、徹夜で討論するというのは、案外エネルギーが必要ですね。私は高校生の頃から「朝まで生テレビ」が大好きですが、田原総一郎さんのすごさがよく分かりました。

 詳細についてはツイッターやフェイスブック、ブログ等で報告させていただきます。 またエネルギーを頂きましたの明日から頑張ります。