村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2012年1月10日(6回目のお正月)

 私が夕張へ来たのが平成18年12月25日でしたから、今回で夕張での6回目のお正月を過ごしました。

 12月中は記録的な大雪が続き、雪かきに追われて大変でしたが、お正月付近になって晴れている日が多くなり、気温も上がりました(写真)。お陰様で穏やかなお正月を過ごすことができました。

 今回のお正月はHTBテレビのイチオシで「MIKIOジャーナル」を担当している阿部幹雄さんの取材が入っていました。(MIKIOジャーナルでは随分夕張医療センターのことを取り上げて下さっていますので、是非ご覧になってみて下さい)

 お正月といっても、この仕事を始めてから大みそかや元旦はほとんど当直していますので、遠出はできません。だいたいお正月前に準備をして、当直の電話を持って自宅で過ごすことがほとんどです。入院している方もいますので、時々顔を出さなければなりません。

 しかし、「支える医療」を具体化していき、仲間が増えて、入院や医療中心のやり方から在宅やケア、予防医療を中心にしたことから、随分負担が減ったと思います。看護師の皆さんが頑張っているお陰で呼び出しもほとんどないですし、自宅で原稿を書いて過ごしていました。

 元旦にはカメラが回っている中、初詣をしておみくじを引きました。今年は小吉でした。初詣の帰りには偶然に旭町のダムへ行くことができました。旭町というのは、夕張医療センターから5分ほど山奥へ入っていく場所で、夕張で一番寒くて積雪が多いところです。

 旭町のダムへの道は、いつもはチェーンがかかっていて入れないのですが、冬期間はかなり雪が深いので行くのは大変ですが、浄水場のある所まで行けました(写真)。

 私は夕張へ来てから毎年お正月や桜と紅葉の夕張神社の写真を撮っています。今年も元旦の夜に出かけて、人気のない神社の写真を撮ってきました(写真)。5年間で随分夕張の写真を撮り歩きました。この町では歴史や伝統のある建物が、何の前触れもなく壊されていきますので、記録を残そうと思い、5年前から始めました。

 地域への想い入れや将来像、想像力のない町は衰退し、消えていくということがよくわかります。それも地元の人達のお任せ意識が原因なのだと感じています。難しい理屈や責任のなすり合いをする前に、気が付いた人がやればいいので、ここにいる間は続けていこうと思います。

 今年のテーマは「多職種連携」になると思います。自分の事しか考えないどうでもいい雑音は無視して、最初に決めた目標を目指していくつもりです。昨年までに作ってきた財産を大切にして、今後につなげていきたいと思います。

 以前に夕張メロンの開発に携わった方に聞いた話ですが、「夕張メロンが成功したのは、行政を当てにしないで、自分達で考えて、行動して、汗をかいたからうまくいったと思います」といった内容でした。これからの時代は官を当てにしないで、住民も民間も公を目指すことが大切なのだと感じています。おそらく地元より他の地域や外部の人達の知恵や力を借りる機会が増えると思います。

 また1年頑張りますので、よろしくお願いします。