今回は、ブランク氏の失敗談が紹介されています。まだ20代だったころ、それまでの経験からマーケティング能力に自信を持っていたブランク氏ですが、移籍したスタートアップ企業での失敗を通じて、販売形態の違いに応じたマーケティングの役割を知ったと言います。(ITpro)

 私は20代のときに、マーケティングとセールスの関係を“かがり火”によって教えられました。

 30年以上前、パーソナル・コンピュータが出回る前に、オフィス・ワークステーションと呼ばれたデスクトップ・コンピュータがありました。第1世代のマイクロプロセッサーを使ってデザインされ、ワード・プロセッシング、表計算、会計などのビジネス・アプリケーション向けに開発されたものです。大型コンピュータやミニコンピュータにつながるダム・ターミナル(単なるディスプレー装置)を改良した装置で、メーカーごとの独自OSとアプリケーションを使っていました。私の3番目の会社、コンバージェント・テクノロジーはこのようなワークステーションの製造事業に携わっていました。

新商品のマーケティングを担当

 コンバージェントのコンピュータは、他のコンピュータ企業がOEM購入し、その企業が再販売しました。その再販企業の顔ぶれは、かなり以前に廃業した企業――バローズ、プライム、モンロー・データー・システム、ADP、モホーク・データ、グールド、NCR、フォーフェイズ、AT&Tでした。コンバージェントは、DECやインテル、ゼロックスPARCから来たスターエンジニアによる創業者チームで構成されていました。そして上場後には、ハネウェルからベテランのセールス担当副社長を採用しました。

 コンバージェントの売り上げが急上昇するにともない、コンバージェントは複数のプロセッサーを搭載しUNIXベースのミニコンピュータを製造する新しい部門を作ることになりました。私はプロダクト・マーケティング・マネージャーとして同社に採用され、この新しい部門のマーケティング担当副社長に就きました。この部門は、売り上げ2億ドル企業における企業内スタートアップ事業ということになります。私は過去5年間マーケティング担当だったので、マーケティングについてはすべて分かっていると思い、新しいコンピュータのデータ・シートを書き始めました。

 この新しいコンピュータは、複数のプロセッサーを初めて搭載した、とても複雑な製品だったので、私はそれに見合う詳細なデータ・シートが必要だと判断しました。「メガフレーム」と誇らしく呼ばれた新しいコンピュータのデータ・シートは、実際に出来上がってみると16ページにもなりました。私の上司(彼とは後にエピファニーを共同創業)とエンジニアリング・チームのメンバーに、内容をチェックしてもらいましたが、全員が「完璧だ」と言ってくれました。この新しいシステムに対して、考え得るすべての質問の答えを盛り込んだのです。そしていつもどおりに、私はセールス部隊に配布するために数千部を印刷しました。

 印刷会社からデータ・シートが送られて来た日、私はフリーウエイの反対側にあるコンバージェント本社ビルにある営業部門にデータ・シートの入った箱を送付し、CEOと新しいセールス担当副社長にもデータ・シートを一部ずつ送りました。私は、そのデータ・シートが傑作だと信じていたので、その2人から“お褒めの言葉”をもらえるか、少なくとも「すごい、セールス部門のために本当に良くやってくれた」という言葉がもらえるかもしれないと思っていました。

 セールス担当副社長から「スティーブ、あなたの新しいデータ・シートを読み終えました。本社に来て下さい。私たちはサプライズを準備して待っています」という電話があったので、私は「おそらく彼らはデータ・シートが本当に良かったと思ったので、私は感謝の言葉をかけられるか、何か賞品をもらえるか、ひょっとするとボーナスが出るかもしれない」と密かに考えていました。