今回の投稿は、米国で話題になっているSOPA(Stop Online Piracy Act:下院に提出されているオンライン海賊行為防止法)に関するものです。ブランク氏は、映画業界の歴史が常に技術革新に目を背けて、自分たちの業界を守ろうとしてきたものだと断じています。(ITpro)

 2011年の映画業界の劇場収入は300億ドル(2兆4000億円)で、その3分の1が米国内の市場からでした。しかし、映画業界の総売上は870億ドルでした。残りの570億ドルはどこから来たのでしょうか?

 それは、映画スタジオが以前に「自分たちの事業を廃れさせてしまう」と言っていた分野からの収入。つまり、ペイ・パー・ビュー(番組有料視聴制)方式のテレビ、ケーブルテレビと衛星チャンネル、レンタル・ビデオ、DVD販売、オンライン購入、そしてインターネット経由のダウンロードなのです。

映画業界と技術の進歩

 映画業界と音楽業界が過去に「新しいプラットフォームと配信チャンネルが自分たちの事業を滅ぼす」としていた主張は、ことごとく間違っていました。いずれの場合でも、新しい技術は既存の市場への悪影響よりも、はるかに大きな新市場を作り出しました。

・1920年代――レコード業界はラジオ放送を問題視しました。ラジオのような無料のサービスとは競争にならないという理由でした。「誰も、もう二度と音楽を買わなくなる」と。
・1940年代――映画スタジオは、映画配給チャンネル(経路)を手放さなければならなくなりました。当時、映画スタジオは米国の映画館の50%以上を所有していたので、「もうこれで終わりだ」と苦境を訴えました。現実がどうだったかと言えば、1948年に1万7000あった全米のスクリーン数は、現在では3万8000になっています。
・1950年代――テレビ放送は無料でしたから、ケーブルテレビが脅威でした。映画スタジオは、「私たちの無料テレビ番組のコンテンツは、有料のテレビと競合できない」と異議を唱え反対しました。
・1970年代――VCR(ビデオカセット録画機)が映画事業の終焉に追いやると言われました。映画業界とそのロビー活動団体のMPAA(米国映画協会)は、「この世の終わり」だと誇張して戦いました。ところが現実には、VCRが使われ出すと、映画スタジオの売り上げはロケットのごとく上昇しました。新しい配給チャンネルによって、家庭でのレンタル映画収入が劇場での映画収入を超えたのです。
・1988年――MPAAは、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)を制定し、ユーザーが購入したDVDのデジタル・コピーを違法としました。
・2000年――TiVoのような、ユーザーがコマーシャルをスキップして録画できるDVR(デジタル・ビデオ・レコーダー)が、テレビ事業を終わらせると主張しました。現実には、DVRによってテレビへの興味が取り戻されました。
・2006年――テレビ放送業界は、ケーブルテレビ放送業界が顧客向けにクラウドベースのDVRサービスを始めるのを阻止するために提訴しましたが、敗訴しました。
・現在――インターネットが映画スタジオの事業を終わらせる。どこかで聞いたことがありますね?

 なぜ、映画業界は常に間違っていたのでしょうか。なぜ、映画業界は革新技術を敵対視し続けるのでしょうか。

技術革新を拒み、立法と提訴で阻止する

 映画業界は“35mmフィルム”を唯一の技術標準として誕生し、そのコンテンツ(映画)の唯一の流通チャンネルは、1948年まで映画スタジオが持っていた映画館でした。映画スタジオのプラットフォームの技術変革と流通チャンネルを変えるまでに、75年かかりました。ケーブルTV、VCR、DVDとインターネットという変革は、容赦のない猛攻撃でした。この技術革新と流通チャンネルの変革に対し、映画スタジオは立法と提訴で阻止しようと試みました。

 では、映画業界はなぜ、ワシントンと立法に問題解決を求めるのでしょうか?これまでの歴史とその成果をまとめてみましょう。

 1920年代に、各州が独自に映画の検閲を開始し始め、連邦政府も検閲をすると脅そうとしていました。そこで映画スタジオは独自の検閲とレイティング(格付け)をし、40年間にわたりセックスと政治を映画スクリーンからほぼ締め出すことを決めます。政治闘争に決して負けないように、映画業界はロビー活動団体のMPAAを創設しました。

 1960年代までに、MPAAは、映画業界を規制する機関と手を組むことで規制を支配する目的でジャック・ヴァレンティ氏を雇い、彼に映画スタジオのロビー活動を38年間任せました。皮肉にも、競合となる技術革新に足かせをつけるヴァレンティ氏の才能によって、映画スタジオが敏捷さやビジョン、技術リーダーシップを培う必要性がなくなってしまったのです。