先日、ベンダー選定のコンサルティングを行ったときのことである。候補となるベンダーを10社リストアップし、この10社とまずは挨拶がてら面談を実施することにした。

 発注者であるユーザー企業側の社外秘資料をいくつか渡して話を進めたほうがより実のある面談になるだろうと、面談前に機密保持契約の締結をベンダー各社に依頼した。機密保持契約書のひな型はユーザー企業側で用意した。契約書の内容はごく一般的なもので、提案前の時期の機密保持契約書としては特に問題はないと考えていた。

 実際9社のベンダーは、若干の文言修正程度の要望はあったが、基本的にひな型通りの機密保持契約締結に合意した。ところが残りの1社、A社だけが、「当社の用意する機密保持契約書でお願いしたい」と強行に言い張ってきた。これにはユーザー側も困惑したが、特に問題となったのは機密保持の有効期限に関してであった。

 ユーザー側は5年と設定したが、A社は2年と主張してきた。ユーザーが5年としたのには事業上の深い理由があってのことなので、譲ることはできない。また、A社も「法務部門が5年間という期間は認めない」といって膠着し、面談を中止する結果となった。A社はせっかくのビジネスチャンスを逃し、ユーザー企業にとっては非常に後味の悪い出来事となってしまった。

 筆者は以前にも別の案件で、やはり機密保持契約書絡みでビジネスチャンスを失った事例を見ている。この事例のベンダーをB社としよう。B社もまたユーザー側が提示した機密保持契約書の内容に法務部門がいろいろ細かく注文を付けたらしく、「なるべく当社の書式で」という姿勢をなかなか崩さなかった。その後、契約書の内容には妥協点を見いだせたにもかかわらず、すぐに破談となったのである。

 その契約書の中には「下請け業者その他第三者を使用する場合は、相手方(この場合はユーザー側)の書面による事前承認を得ること」という文言が入っていた。

 しかし、B社はユーザーとの初回面談時に何の事前通告もなく、パッケージ開発元の営業担当者と下請けベンダーのSE数人を帯同してきたのである。これにはユーザーも怒った。「あれだけ機密保持契約書にああだこうだと注文を付けた揚げ句に、いきなり違反行為をするとは何事だ」。B社の商談は、その日持参した機密保持契約書に捺印をもらう前に終わったのである。

 この二つの機密保持契約書にまつわるエピソードにはいくつか考えるべき点がある。A社のケースでは、現場の営業担当者やSEはどういう気持ちだったのだろうか。貴重なビジネスチャンスを法務部門の融通の利かない対応のせいで逃したことに、じくじたる思いがあったはずだ。

 本来、機密保持契約とは機密を開示する側が「この点は守ってくれ」と条件を出す話なので、基本的には開示する側の条件に従うのがスジである。もちろんあまりに厳しい内容(特に損害賠償)なら異議を唱えるべきであろうが、少なくとも他の複数ベンダーが何の問題もなく受け入れた、ごく一般的な契約内容であった。これはA社におごりがあったといっても過言ではないだろう。

 B社のケースでいえば、担当者は顧客と法務部門の間で調整にばかり気を取られ、肝心の機密保持契約書の内容をきちんと読んでいなかったのではないか。あるいは「提案時の機密保持契約は形式的なもの」と軽く考えていた可能性もある。また、「第三者使用」についてきちんと理解していたかどうか。いつも一緒に仕事をしているパッケージベンダーや下請けベンダーのSEが第三者に該当するという意識が薄かったのかもしれない。

 いずれにせよ、今のご時勢、機密保持契約はユーザーとベンダーが最初に取り交わす契約である。ベンダーは顧客志向とは何かをあらためて考え、気を引き締めて臨むべきであろう。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長兼CEO、NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て、ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画、96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング、RFP作成支援などを手掛ける。著書に「事例で学ぶRFP作成術実践マニュアル」「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)、