人生で重大な選択を迫られた時に、「私はすぐに死ぬのだ」と思うことが、最善の決断を促す最も重要な方法になります。なぜなら、あらゆる期待、誇り、羞恥、失敗への恐怖などほとんどすべてのことは死に臨んだ際には消え去り、真に大切なことだけが残るからです
――スティーブ・ジョブズ

 ブランク氏の教えでは、スタートアップはビジネスモデルを探求する組織であり、顧客をたずねて仮説を検証し、最適なビジネスモデルを見つけていく。しかし、その原則にとらわれすぎて好機を見逃してはならない。今回の投稿は、格好の機会を見逃しそうになっているスタートアップのケーススタディである。(ITpro)

 アントレプレナーが失敗するのを見るのは悲しいことですが、彼らが度胸がないために失敗するのを見るのは悲劇と言えるでしょう。

顧客の興奮と製品の離陸

 2011年の初め、私の教え子だったボブは、“アントレプレナーの天国”にいました。彼は「Insight as a Service」という、新しい領域のエンタープライズ向けソフトのアイデアを持っていました。これは、クラウド/SaaSの一種であり、ビッグデータのWeb解析をベースとしたものです。

 彼は、ビジネスモデルの図式化と顧客開発の教えに心酔していました。卒業後には試作品を作り、「顧客発見」のプロセスを短期間で実行し、多くのCIOやフォーチュン誌が選ぶ1000社のIT部門の支援を受けて、製品を数回改良しました。

 私は「フォーチュン100」のうちの1社のCIOにボブを紹介したので、両者から進捗状況を聞くことができました。

 最初の90日間、すべてはスタートアップの速度で進んでいました。ボブの元には、彼のアプリケーションを試したいというユーザーがたくさんいました。初期プロトタイプを試している企業のIT部門の人たちは、「製品はまだ粗削りで、UIは大嫌いで多くの機能が欠けているものの、もし『返せ』と言われたら、どんなことをしても阻止するでしょう」と言っていました。

 私は、試作品を試しているCIOに、この分野に興味があるベンチャーキャピタリスト(VC)を紹介しました。このVCは、「CIOは興奮して、電話でずっと話し通しだった」と私に言いました。CIOはVCに対して「これほど将来性のあるエンタープライズ・ソフトを見たことがない」と言い続けたそうです。VCは他のユーザーにも確認しましたが、答えはどれも同じでした。その内容は「絶対に必要だから、取り上げないで下さい。私たちは、どうしても買う必要があるのです」というものでした。デモを見て昼食が終わった時に、通常はレイト・ステージ(スタートアップ企業の後期)の投資しかしないそのVCが、シード・ラウンド(前期)の小切手を書き、ボブに渡しました。

 人生で、これ以上のことは望めません。

絶頂から失速へ

 私は、このCIO、VC、ボブからのメールやブログなど断片的な情報を基に、進捗状況をフォローしていました。彼はスタートアップ企業の成功の高速軌道に乗っているようでした。しかし、その後すぐに、心配すべき兆候が見えてきたのです。

 最初の兆候は、共同創業者を見つけられそうにないことでした。 私は彼と密接に連絡していなかったので、彼が共同創業者を実際に探していたかどうかは分かりません。当初の成功を知っていたので、少々奇異に見えた程度でした。しかし次の兆候は、非常に問題だと思いました。それは、ボブは“二流”の開発者たちを採用し始めたのです。どんなに頑張ったとしても、彼らはBクラスの開発者でした。

 1カ月経っても、製品は改良されませんでした。UIもひどいままで、新しい機能も追加されなくなりました。次の月も同様でした。私の友人のCIOが「何が起こっているのか?」と電話してきました。そのCIOは「試作品は素晴らしく、全社を挙げて使いたかった。採用を取りやめるのは非常に残念だが、ボブの会社はアプリケーションの開発に興味を失ったようだ。私は、彼らの製品をあきらめ、代わりの製品を探すことにした」と伝えてきました。そこで私はボブに電話をし、コーヒーでも飲もうと誘いました。

 私は彼に進捗状況を尋ね、初期の試作品のユーザー(アーリバンジェリスト)が、どのように製品を使っているか説明を受けました。私が聞いていたように、アーリバンジェリストは製品にほれ込んでいるとのことでした。しかしボブは、まだ最適な顧客層を見つけていないので不安だと言います。「私は、これらの顧客たちがこの製品に高額な料金を払ってくれるかどうか、確信を持てないのです。だから、私はコードを書くのを止めて、ずっと建物の外に出て、他の顧客の意見を聞いて回っているのです」と言うのです。

 私は、VCは君にどんなことを話しているのかと聞きました。ボブは「彼は、私にあまり時間が割けないようです。彼の会社はシード投資をほとんどしたことがなく、私は例外だったようなので」と答えました。ああ、何ということでしょう。

 この会話で、私はぞっとしました。 ボブは、ほとんどの創業者が到達できないところまでたどり着いていたのです。すなわち、彼の製品は、大きな予算がある企業にとって“無くてはならない製品”でした。彼は、すぐにコーディングをし、高額を支払ってくれる顧客と共に、必要な機能セットを繰り返し検証すべきでした。

 それなのに、彼は5カ月でたった3週間分ほどの進歩しか見られませんでした。彼が作った試作品への顧客の関心は、急速に薄れていきました。

度胸に欠けていた

 ボブにこの点を追及すると、「確かに、私のエンジニアはあまり良くありません。でも、私は自分の仮説が正しいかどうか自信がなかったので、安いエンジニアを雇ったのです。あなたは、私たちに、まず仮説を検証しろと教えていたでしょう」という言葉が返ってきました。

 今度は、私が驚く番でした。「ボブ、君は私が過去に出会ったどのスタートアップ企業よりも、仮説を検証している。君は、最初の1カ月以内で答えを見つけたのです。そして、顧客はあなたに製品開発を終えて欲しいと考えており、早く売ってくれとせがんでいます。君は、最高の能力のある世界レベルの開発者たちを採用し、CIOたちが金を払うと言っている製品を作るべきでした。今でもまだ遅くない。そのようなエンジニアを雇って、 CIOたちに食らい付いて、実行あるのみです」

 彼の次の答えに私は再び驚きました。「スティーブ、私は時期尚早な拡張について詳しく学び、実行する前に一つ一つ確認してきました。私は、すべてが整っていると確認したいのです。お金が底をつきそうで心配です」

 私は、もうひと押ししようと思いました。「ボブ、 最初の製品に対して、顧客からあなたのような反応をもらえるアントレプレナーは滅多にいないのです。しかし、今の君のペースだと、製品を完全なものにするまで、手持ちのお金をすべて使ってしまうでしょう。君は、スタートアップを創業したのですから、完璧な情報を手に入れることは絶対にありません。君は金鉱の上に座っているのです。この好機をつかみ取りなさい!」

 彼は、うつろな目で応えました。それからもう少し世間話をしてから握手をし、彼は去って行きました。ボブは、市場を間違えたのではなく、ビジネスを間違えたのです。彼は確実性、快適性と安全性を求めたのです。私は、自分のコーヒーを冷たくなるまで見つめていました。

 今を生き、目の前の好機をつかみましょう。そして、あなたの人生をけた外れのものにしましょう。

学んだこと
―時期尚早に拡張すると、スタートアップは死に至ります
―建物を出て、仮説を検証しなければなりません
―しかし、 好機に巡り合ったときには、何としてもそれを両手でしっかりつかみ絶対に放さないことです
―もしそれができないのなら、スタートアップから手を引くことです

2011年11月30日投稿、翻訳:山本雄洋、木村寛子)

スティーブ・ブランク
スティーブ・ブランク  シリコンバレーで8社のハイテク関連のスタートアップ企業に従事し、現在はカリフォルニア大学バークレー校やスタンフォード大学などの大学および大学院でアントレプレナーシップを教える。ここ数年は、顧客開発モデルに基づいたブログをほぼ毎週1回のペースで更新、多くの起業家やベンチャーキャピタリストの拠り所になっている。
 著書に、スタートアップ企業を構築するための「The Four Steps to the Epiphany」(邦題「アントレプレナーの教科書新規事業を成功させる4つのステップ」、2009年5月、翔泳社発行)がある。