田中淳子氏と芦屋広太氏によるヒューマンスキル往復書簡の第10回。「とにかく声を出しなさい」という芦屋氏の話を受け、自分の思いを達成するには、まず口に出し、粘り強く言い続け、さらに訴えるための材料を用意することが大切だと田中氏はいいます。(編集部)

芦屋さんへ

 前回の手紙の最後の部分、「とにかく声を出し続けなさい」という部分に深く首肯しました。「口に出す」と「言い続ける」。両方とも、とても大切だと思います。加えて、みずから動くことも大事です。それがないと、単なる評論家になってしまいますから。

 「口に出す」ことは、なぜ大切なのでしょうか。一つのエピソードを紹介しましょう。

尊敬している上司に指導を受ける機会がない

 Aさんは、入社6年目、20代後半の女性エンジニアです。あるとき、こんな悩みを打ち明けてくれました。

 「今の上司をすごく尊敬していて、いろいろ教えてもらいたいと思っています。ところが、なかなか指導を受ける機会がないんです。私の会社は大体3年ごとに人事ローテーションがあるので、今の上司が異動になる前に、できる限り多くのことを学びたいのですが。やはり女性だから、男性ほどは期待されていないのでしょうか?」

 「尊敬できる上司の元で働いているなんて、ステキですね。そう思うAさんもステキですよ」。まずはAさんにこう答えました。たいていの部下は、上司に対して辛口な物言いをしがちです。尊敬できる部分よりも、「ここが困る」「ここをもっと直してくれたら」と、不足している部分に目を向けてしまうのです。

 Aさんが上司のことを「心から尊敬している」と堂々と言えるのは、本当に恵まれているし、彼女の前向きさとうまく共鳴しているのだろうと思いました。

 彼女の言うとおり、尊敬できる上司から精いっぱい学び取ることができれば、とても素敵なことです。でも、Aさんはそのチャンスが少ないことを不満に思っており、その理由の一つを「女性だから」と考えていました。

 私はAさんの話を聞きながら、「女性か男性かが本当に関係あるのかな?」と、疑問に思いました。そこで、こう尋ねたんです。「その上司に、『いろいろなことを学びたいので、指導してほしい』と伝えましたか?」。

 返事は「いいえ、はっきりと言ったことはありません」。あらら、やはりそうなのか、と腑に落ちました。性別の問題ではなく、自分の気持ちを「口に出す」ことをしていないために、上司に伝わっていなかったのでしょう。

「何も伝えていないのに、わかってくれるわけがない」

 上司が部下を育てるのは当然かもしれません。それでも複数の部下がいる場合、指導の力の入れ方にどうしても差が出てくるものです。「育ててください!」「鍛えてください!」と部下が意思表明をしていたら、上司はその人に対して、意思を表示しない部下よりも熱を入れて指導するでしょう。

 彼女がまずすべきことは明らかです。Aさんにはこうアドバイスしました。「尊敬するその上司に、自分の気持ちをストレートに伝えた方がいいと思いますよ。『私の直属の上司でいるのは、長くてもあと3年です。その間に、できる限り教えてほしいんです。ぜひ私を鍛えてくれませんか』って。口に出さないと、相手はわかってくれませんよ」。

 「確かに、何も伝えていないのに、わかってくれるわけがないですよね。女性だから区別されているわけではなく、育ててほしいという意思を表明していないからだという気がしてきました」とAさん。私がさらに踏み込んで、「それはよかった。その上司に直接話せますか? 自分の言葉できちんと伝えられますか?」と尋ねると、「はい、大丈夫です。そういうことを言える上司ですから。まず口に出すことから始めなければならないですよね、私」と満面の笑みを浮かべながら、職場に戻っていきました。

 彼女はおそらくその日のうちに、自分の思いを上司に伝えたことでしょう。あれから5年くらい経ちますが、どのようなエンジニアに成長したのか、また会って聞いてみたい気がします。

 人は案外、自分の思いを表明していないものです。でも、黙っていたら相手にはわからない。表現しない思いは、相手にとって存在しないのと同じです。まずは、ダメ元で口に出してみる。口に出してみたら風穴があくというのは、よくあるものです。