筆者が陰ながら行く末を見守っているものがある。PC用ソフトのメニューバー、その中の「ファイル」メニューである。これは、Steve Jobs氏の残した数ある文化遺伝子の一つだと思っている。

 読者の多くは最初にPCを見たときからファイルメニューがあり、それが自然と思っているかもしれないが、実はそうでもない。筆者は2006年、ある雑誌のコラムに「ファイルメニューの存在には合理的な理由はない。QWERTY配列のように100年後も使われているか疑問だ」といったニュアンスのことを書いた。QWERTY配列とは、キーボードのキー配置のことである。アルファベットの最上段が左からそう並んでいることから名付けられている。

 19世紀に作られた初期のタイプライターで採用されたことに始まるが、なぜこのような配置なのかは分からない。いろいろな説があり、中にはTYPEWRITERという字を打つデモがしやすいからというものもある。いずれにしても、効率よく入力できるといった合理的な根拠にはなっていない。にもかかわらず、100年以上たった今もキーボード配列に使われている。

 同様にファイルメニューにも合理的な理由はない。そもそもファイルという概念を持たないPC用ソフトは珍しくない。例えばメーラーやWebブラウザーなどだ。

 なぜPC用ソフトにファイルメニューがあるのか。その起源とされるのが、米Apple Computer(現Apple)がユーザーインタフェースのガイドラインをまとめた「Human Interface Guidelines: The Apple Desktop Interface」という本である。この本の中のメニューバーの記述には、「アップル、ファイル、および編集の三つのメニューはどのアプリケーション(ソフト)でも必ず表示されます」とある。

 筆者は1980年代、JStarと呼ばれる文書編集環境で作業をしていた。17インチディスプレーで広さも1280×1024ピクセルあったので、白黒だったことを除けば、今のオフィスユースのPCと変わらない作業環境だった。デスクトップ上に複数のウィンドウを開いて作業したが、各ウィンドウにメニューバーはなかった。マウスボタンが二つあったので、メニュー表示用の右ボタンと選択用の左ボタンを使い分ければメニューバーは不要なのだ。

 その後、個人用にMacintoshを購入し、初めてメニューバーに触れた。当時の画面は9インチと小さいのでウィンドウとは別にメニューを表示させることはできないし、マウスボタンも一つである。そこで画面の一番上に共通のメニューを用意し、利用するソフトごとにその内容が切り替わるようにしていた。それがメニューバーであり、ファイルメニューもそこにあった。当時のマシンの制約がメニューバーの必然性であった。

 しかし、そうした制約はハードの進化とともに解消されると思っていたので、ファイルメニューはいずれ消え去ると予想していたのだ。この予想は的中した。米MicrosoftのOffice 2007では、従来のメニュー方式からリボンインタフェースと呼ばれる方式に全面刷新し、その際、ファイルメニューもなくなった。「やはりこの日が来たか」と筆者はしばし感慨に浸ったのだが、それは長くは持たなかった。30分後、それまでファイルメニューの中にあった印刷メニューを探し回るはめになり、「戻ってきてくれファイルメニュー」という気分になっていたからだ。同じような思いをした人がたくさんいたのだろう。Office 2010で、ファイルメニューが復活した。

 初めてメニューバーを見たとき、デザインの秀逸さに驚いたことを覚えている。洗練されたデザインと共に作られた機能は、合理性を超えて人の心をつかむ。ファイルメニューもまた、先日惜しまれつつこの世を去ったSteve Jobs氏が残した文化遺伝子の一つなのだ。氏のご冥福をお祈りしたい。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力