草食系、肉食系という言い方があるが、ITエンジニアの職場は基本的には草食世界だと思う。仕事は大変だが、多くの問題は静かに議論して是々非々の判断ができる。しかし、ポジションが上がると世界が変わる。他部門の長や経営層といった上役の人たちと議論する機会が増える。そうした人たちの中には、怒鳴って机を叩いて主張を通す人もいる。そこはもはや肉食世界で、草食世界しか知らないITエンジニアの多くは、その世界でうまく振る舞うことができない。

 数年前から筆者は経営層の仲間入りをしているので、ITエンジニアの対応のまずさは逆の立場でよく実感する。慣れていないのは分かるが、もう少しうまくやってほしいと思う。上役が出す指示に対して、怖いからか反射的に対応するところに問題がある。今回は、そうしたときの対応策を伝授したい。

 その策は、ITにおけるモデルベースの考え方に基づく。ひと言で説明すると、対象をモデル化したものをコンピュータ内部に作って応答に使うものだ。指示に対して直接応答するのではなく、指示をモデルへの入力として捉えてどのようにモデルの状態が変化するかを検討する。その上で応答するところがミソだ。これを応用する。

 他部門の長や経営層といった上役の人たちをモデル化するとしたら、何がいいだろうか。数千人数万人という大きな組織のトップともなると、生半可な迫力ではなく、怒らせてはいけないという雰囲気がある。筆者がモデルにふさわしいと思うのは肉食恐竜。代表的なティラノザウルスから命名し、「ティラノモデル」とでも呼ぼう。

 ティラノモデルに対しては、以下の3原理を押さえておくことがポイントだ。第1原理は「食事は定期的に」。食事とは状況報告のメタファーである。報告すると必ず怒られるので、なるべく報告回数を減らそうとするITエンジニアがいる。だがそうすると、かえって手ひどく怒られる。ティラノは食事をするとき暴れて恐ろしいが、食事を抜くともっと恐ろしく暴れる。上役の人と現場との情報ギャップはとても大きい。状況報告をしない期間が長いと何が起こっているのか分からなくなって不安になる。定期的な報告でこの不安を取り除くことが大切だ。

 第2原理は「正面からゆっくり近づく」。何か問題が起こりそうな場合、例えばシステムトラブルで顧客からクレームが来るかもしれない可能性があるとしよう。そうしたとき、トラブル回避のための努力をし、結局ダメだったときに報告すると、「なぜもっと早く報告しないのか」と逆鱗に触れることになる。ティラノは速く大きく動くものに敏感に反応する。不意打ちは厳禁だ。上役の人にとって最も嫌なことは、業績悪化につながる想定外の事態である。少しずつ予測を示すことが大切だ。早い段階で「最悪の場合、問題が起こる可能性がありますが、対策を打っているので大丈夫です」と説明しておく。あらかじめ知らせておけば、最悪の場合も想定内で扱える。

 第3原理は「出番を用意しておく」。上役の人が「現場のマネジャーやリーダーは頼りにならない」と判断した場合、直接現場を仕切り始める。ティラノの腕力は本人が思っている以上に強力なので、関係者全員が振り回され、悩まされることになる。先の二つの原理に従って行動するとともに、ティラノの出番を明確に用意する。上の例なら、万一顧客からクレームが来たときの対応をお願いし、今はまだその時ではないことを伝える。上役の人を最後の切り札として温存しておく。状況報告は、いざというときに助けてもらうための準備なのだ。

 心の内にモデルを持つことのメリットは、事態を主体的にコントロールできることだ。客観的に見ると振り回されているのだが、内なるティラノを自在に動かしている気になれる。精神衛生上、かなりの違いである。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力