村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年11月7日(勇美記念財団講演から北海道地域医療研究会へ)

 先週はなかなか忙しいスケジュールでした。10月27日木曜日の夕方5時まで仕事をして、大急ぎで千歳空港に走って19時30分の飛行機に乗り東京へ向かいました。翌日は昼に新潮社の方と出版される本の打ち合わせをして、18時から東京駅の八重洲口の近くにある会場で勇美記念財団の「平成23年度在宅医療推進のための会」で講演しました。

 在宅医療の分野で日本でも中心的な役割を担っている皆さんが出席していて、隣の席には在宅医療研究会の理事で、私が研修医の時に在宅医療を教えて下さった太田先生が座り、久し振りに緊張しました。

 講演では、夕張で取り組んでいる支える医療の話を中心に、今後の高齢化社会における医療の在り方について話をしました。さすがに在宅医療の現場で活躍している医療関係者や厚生労働省の関係の方達で、講演後の質問や提言は非常に具体的で、とても勉強になりました。

 2次会でも国立長寿医療研究センター理事長・総長の大島先生や順天堂大学の田城先生、師匠の太田先生とご一緒しましたが話が尽きない状態で、時間があっという間に過ぎていきました。久し振りに楽しく学べた時間を過ごすことができました。呼んで下さった勇美記念財団の関係者の皆様に感謝いたします。

 さて、その後真夜中に帰り、翌日10月29日土曜日は朝早い便で新千歳空港に飛んで、昼頃に北海道大学学術交流会館で行われた北海道地域医療研究会平成23年度総会・定期研究会に出席しました。「つながろう北の保健・医療・福祉 ~各地の実践から生まれた知恵を終結し発信する~」と題して、今回からポスターセッションを取り入れました。

 今までの地域医療研究会の定期研究会では講演が主体でしたが、せっかく北海道の地域医療の現場で実践しているメンバーの研究会ですから、お互いにそれを集めて、活字にして発信していこうという初めての試みです。

 北海道地域医療研究会の特徴は、医師ばかりではなく保健師さんや看護師さん、理学療法士さんや作業療法士さん、栄養士さん、首長さんや行政の担当者、議員さんといった多職種が参加していることです。(北海道地域医療研究会のブログはこちら

 当初はポスターの演題が集まるかどうかも分からない状態で企画をしていったのですが、蓋を開けてみると、25題の演題が集まり、会場はすごいにぎわいと熱気で交流が行われていました。

 私達も頑張って13演題を出しましたが、ほとんどは介護職の方や事務職、看護師の発表でした。今回私はカメラマン兼オブサーバーとして参加しただけですが、他の職員の皆さんがカバーして下さっていたので、ほとんど出番も無く終わりました。皆さんが自分達で立派にやっていたことが、何よりうれしいことです。講演の総括でも、老健での取り組みが評価されていました。

 おそらく職員の皆さんも普段の自分の仕事が他ではどう映るのか、あるいはまとめることで自分の仕事の意味が改めて認識できたのではないかと思います。基調講演は北海道大学環境健康科学研究教育センターの岸玲子先生が「働く人の雇用と健康と安全および生活保障を考えながら;地域医療を担う人々へ期待する事」と題して非常に示唆に富む話をして下さいました。

 残念ながら出張ですっかり疲れていた私は懇親会も出席できない状態で帰ってしまいました。その翌日は爆睡して、起きると腰痛と足の筋肉痛に悩まされました。

 今年はもうしばらくこのような生活が続きそうですが、日本一高齢化が進んだ市での取り組みが、他の地域の問題や破綻を少しでも解決することを期待しながら、頑張りたいと思います。皆様の近くで講演の話がありましたら是非ご参加いただけたら幸いです。

 蛇足ですが、最近被災地のために購入した宝くじで秋の七草賞 5万円が当たりました。被災地支援に回すつもりでしたが、以前にお世話になったタイの皆さんの水害のために使おうかと思います。

 いつものように支え合うことが大切ですから、これからもそのような姿勢で取り組んでいくつもりです。被災地の支援はまだまだこれからが大変です。私達の支援もすでに延べ30人を超えていますが、今月も支援に出ています。細く、長く、ゆるく継続していきたいと思います。

2011年11月14日(彦根市の地域医療を守る会)

 11月5日に滋賀県彦根市のひこね市文化プラザエコーホールという所で、「市民自ら守り支える地域医療」という演題で講演をして、その後のシンポジウムにも出席させていただきました。

 「彦根市の地域医療を守る会」というのは川村啓子さんというご自宅で母親の介護している普通の市民の方が立ち上げた会です。この方との出会いは確か2年前の9月頃だったと記憶しています。私が出演したテレビ番組を見た川村さんから手紙をもらい、彦根市での医療についての不満や疑問について私が返事を書いたことがきっかけでした。

 最初は川村さんも現状の地域の医療に対する苦情や要求といったことが主だったのですが、やり取りをする中で勉強されて、市民自らが医療のことを勉強して支えていくといった発想になっていきました。

 この方の行動力はすごいもので、徐々に他の市民の皆さん達も賛同して、議員さんや病院の関係者等も巻き込み、定期的に勉強会を開くようになりました。その後の活動は新聞などにも取り上げられるようになり、ついには滋賀県が主催する「滋賀の医療福祉ネットワークフォーラム」のパネリストの依頼が来るほどになりました。彦根市の議員さんである、ばばかずこさんのブログの文章を引用させていただきます。

 「彦根市の地域医療を守る会」は、医療を病院や医師任せ、行政任せではなく、患者も家族も病院や医師、行政も一緒になって地域医療を考えていくことをテーマに活動をされています。毎月一回定例会として開催される勉強会には様々な立場や職種の方が講師としてお越しいただいており、和やかな雰囲気の中で、地域医療についてみんなで学び合っています。

 住み慣れたこの街で安心して暮らし続けていけるために、地域医療のあり方を多くの方と考えて生きたいと願っているのが「彦根市の地域医療を守る会」です。私も、事情が許す限り例会に寄せていただき、みんなで守る彦根市立病院、持続可能な病院運営と経営についての学びを深めています。

 講演に行って市立病院の先生や在宅を支える開業医の先生、訪問看護を支える看護師の方とも話をする機会がありました。皆さん地域のために医療や福祉を守ろうという気持ちはとても強くて、日夜頑張っておられることが良くわかりました。

 ただ、一方的に市民の皆さんが「税金を払っているから」「素人だから」と健康問題を医療に丸投げにしていると、医療者が疲弊して崩壊するというのが夕張をはじめ全国各地で起こっていることの主たる原因だと思います。

 悪者捜しをして人のせいにするのは簡単ことですが、それではいつまでも問題は解決しません。今後高齢化が進み経済が疲弊する中ではさらに問題は深刻になっていきます。疑問を感じた方が学び、行動することが解決のためには一番大切なのだと思います。

 彦根市は彦根城に代表される歴史的な建物が大切にされている街です。住民の皆さんに自分の地域に対する強い愛着や思い入れがあれば解決する可能性は高いのではないかと感じました。少なくとも医療者、議員さん、住民の皆さんがこのような活動をしていること自体、すでに夕張市よりははるかに前向きだと思います。

 「地域のために医療を大切にして住民がそれを支えていく」「医療や福祉は目的ではなくて手段である」というのが今回の講演のキーワードでした。彦根市で芽を出した活動が大きく育ち、次の世代の皆さんが住みやすい地域になっていくことを祈っています。

 彦根市を案内していただいた議員の谷口典隆さんをはじめ、手弁当で準備に汗をかいていた彦根市の地域医療を守る会の皆さんに感謝いたします。また、サプライズの連続で楽しませて下さった代表の川村さんをこれからも応援していきたいと思います。