貪欲な金融市場主義の高進、マネーの暴走に伴い、実物経済の主人公である人、そしてモノが市場から排除されつつある。この悲惨な現実をよりクリエイティブに変革させている「社会イノベーション」に注目したい。

東京農工大学大学院産業技術専攻 教授
松下博宣

 ここ数年、年の瀬に近づくと話題に上るのがホームレスだ。筆者は、ベンチャー会社を経営していた頃、常に倒産リスクを抱えていたので、とてもホームレスを人ごとにように距離を置いて眺めることはできない。実際、同じ時期に起業した別の会社が倒産し、「社長は夜逃げ、家庭は崩壊」という事例が筆者の周りでも2件あった。つまり「明日は我が身」。こういう見方がごく自然に身に着き、それは今でも変わらない。

 厚生労働省のデータによれば、2003年にホームレスは2万5296人であったが、2010年にはおおむね半減して1万3124人に減っている。それでもまだ1万人以上もの人々が路上などでの生活を余儀なくされている。

 一見、鎮静化しつつあるように見える統計だが、筆者は楽観していない。セーフティーネットがほころび始めているからだ。一つめのセーフティーネットである「失業保険」では生計をたてられずに、二つめのセーフティーネットである「生活保護」の対象世帯数が急増している。1990年代半ばから生活保護世帯は年間3万~4万世帯増えてきていて、2011年の7月には148.6万世帯となっている。

求められるホームレスと貧困対策のための社会イノベーション

 今後、都市部においても高齢化が急速に進み、かつ、多くの無年金・低年金者が発生することは必至だ。そうなると、都市部の生活保護世帯は今後も増大し、その財政を圧迫することになる。国による財源保障が十分であれば、問題ないが、地方に対して生活保護の財政拠出を求めている現行制度では、実は、都市部ほど財源不足が拡大中である。無いカネは払えないのである。

 ホームレスと貧困は表裏一体だ。「人間はもはや搾取の対象でさえなくなった。いまや人間は排除の対象になった」という著述家ヴィヴィアンヌ・フォレステルの言葉を借りれば、ホームレスは市場から排除された人間である。

 もっとも新自由主義と自己責任を問う立場からすれば、ホームレスは市場から自分自身を排除してしまったという見方もある。所得獲得に結びつく、それなりの能力開発をしてこなかったツケを自分で払っているという突き放した見方だ。

 いずれにせよ、ホームレスと貧困の問題は、前回の第24講:体制変革運動『Occupy Wall Street』とソーシャルメディアで議論したように、反体制運動の論拠になる重要な課題だ。では、ホームレスと貧困の問題に対してどうアプローチしてゆくべきなのか。

(1)自由な個人の生き方の問題である。市場から排除されないようにきちんと自らを律して食いぶちを確保せよ。あるいは排除されてからも、しかるべき努力を続けて身を立て直せ。これが「私」の理論である。

(2)富の「配分」の問題である以上、政府の責任と役割でやるべし。これが「公」の理論である。

(3)周りの人々、コミュニティーとの絆、連帯を培い、そうすることにより貧困に陥らないようにしよう。あるいはそこから帰還しよう。これが「共」の理論だ。