テクノロジーがもたらす価値を社会に還元するために、常に最善を尽くすという姿勢を貫く渡瀬浩市。一方で渡瀬の友人、笹波武史は、マネジャーとしての道を選択した。米国に本社を置くワトソンシステムに入社した笹波は、「ネットワークの達人」と呼ばれるようになり、37歳でクライアント担当部長に就任する。若くしての担当部長就任を可能にしたが、運命的ともいえるプロジェクトとの出会いだった。
「武市寅雄さんと長島二郎さんの第一寮時代のお話って、青春ドラマみたいで良いお話ですね」
「今、武市は営業の責任者になりました。長島は製品部門の責任者をしています。今でも3人でよく飲みますよ。最近はこの赤坂や、六本木界隈が多いかな」
そう言って、笹波は赤坂ゴールデンヒルズホテル30階のスカイラウンジから、宝石のようなイルミネーションを一望した。
「笹波さんはWS3000を担当されて、ぐんぐん頭角を現したと渡瀬所長から伺いました」
私には華やかなイルミネーションをゆっくり眺めている余裕はなかった。ワトソンシステム社長として、多忙を極める笹波が20時から21時までの1時間だけ特別に取材に応じてくれたのである。この1時間に集中して取材をしなければならなかった。
「WS3000は自分にとって機種が大きすぎなかったことが良かったんです」
「大きすぎない?昔は机より大きなコンピュータだったと聞いたことがありますが、WS3000はコンパクトなのですか?」
「確かにWS3000は机の下に収まる大きさになりましたが、この場合の大きさは、私が新人研修を終えて初めて担当した機種としては、扱いやすい自分に適した規模だったということです。新人の頃は見るもの触れるものが楽しくて、一つひとつは、ばらばらなシステムでも、つないでみると生き生きと動き出すんですよ」
「生き生きと動き出す?」
「そう、コンピュータって生き物ですよ!」
「笹波さんから先日、送って頂いた『日経コンピュータ』の記事に『オフコンの在庫管理システムと自動倉庫のシステムをつなげてみる。ファクシミリと連動させて、発注書を自動発行させてみる。『ばらばらにしておくと何の変哲もないシステムでも、少しいじってつなぐだけで、面白いようにアプリケーションが作れた』と書いてありましたが、そのことですね」
笹波はエンジニア時代に、『日経コンピュータ』のコラム「闘うシステムエンジニア」に取り上げられたことがある。私は小説の取材の事前資料として、『日経コンピュータ』の記事のコピーを送ってもらっていたのである。
「ばらばらなシステムを少しいじってつなぐと面白いようにアプリケーションが作れたっていうことは、どんどんイメージが膨らむってことですよね。それって、本当に好奇心がないとイメージが膨らみませんよね」
私は何となく笹波の好奇心が理解できたような気がした。
「『ネットワークの笹波』と呼ばれるようになった運命的なプロジェクトについてお話いただけますか?」