テクノロジーがもたらす価値を社会に還元するために、常に最善を尽くすという姿勢を貫く渡瀬浩市。一方で渡瀬の友人、笹波武史は、マネジャーとしての道を選択した。渡瀬の秘書、高杉伊都子は、エンジニアをモデルにした小説を執筆するために、渡瀬から紹介された笹波へのインタビューに臨んでいた。笹波は、入社当時のコンピュータ業界の様子を、ゆっくりと話し始めていた。

 1982年はワトソンシステムにとって、変革の年でもあった。

 それまでは精密機器を販売していたが、これからはいよいよコンピュータの販売に打って出るということになり、社員1100人の会社が、一挙に371人という初の大量採用を実施した年なのである。

 新宿にある33階建てのビルの23階から上がワトソンシステムの本社だった。82年からは7階のフロアーも借りて、新入社員18人だけはそこに集められた。笹波武史も、その中に含まれていた。

 「なんだか私達だけ7階なんて。入社早々、島流しにあったみたいで嫌ですね。私は早稲田大学理工学部出身の長島二郎です。よろしく!」

 長島茂雄のようにヒゲあとが濃い長島二郎は、明るく気さくな性格だった。

 「北法大学工学部経営システム工学科出身の笹波武史です。よろしく」

 「北海道の北法大学ですか!私は高知商科大学経営システム科出身の武市寅雄と申します。武市半平太の親戚の子孫で、実家は高知の料理屋です。料理屋を継ぐのが嫌で東京で就職しました」

 「あの武市半平太の子孫ですか!」

 長島二郎がびっくりした。

 「親戚の子孫です。武市半平太は剣の達人ですが、私は料理屋の長男ですから、包丁だけは得意です」

 武市寅雄は160センチと小柄だが割腹の良い体格だった。

 「鰹のたたきは最高ですよね!酒が飲みたくなってきたな」

 笹波武史もすっかり意気投合していた。

 「君達、自己紹介はその辺にして」

 7階のその部屋は、会社というより研修センターの教室のようだった。

 「私がこれから1年間、君達を指導するビジネスコンピュータ部・部長の塚本正です。君達は我がワトソンシステム初のビジコン部隊として選抜された、いわゆる先鋭部隊です。1年間しっかり学んで下さい。まずこのマニュアルをしっかり読んで下さい」

 塚本部長は厚さ15センチほどのマニュアルを配布した。

 「いやいやいや、これは大変ですね。全文英語のマニュアルとは恐れ入りました」

 武市寅雄は都合が悪くなると「いやいやいや」と頭につけることが癖だった。